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私の第三十四夜をつづります。

2016.2.2

 20代の頃、新宿の三角ビルで開かれていた講座に通っていた時期があった。夜間の教室は勤め帰りの人が多かったと思う。この講座をきっかけに一つの集まりができた。先生を中心とする個性的な仲間たちとの交流が、その後も続いた。学校でもなく、会社でもなく、その集まりでの関係性は自由で、私にとって大切な場だった。ただの一人の人間になれたからだろうか。
 先生は朗らかで鋭く、精力的でナイーヴな人だったと思う。そして先生の話はいつも溢れるように知的で刺激的だったと思う。40年後の今、その先生が語られた文学的・哲学的な事柄のほとんどすべてを忘れてしまったのに、一つだけ覚えていることがある。(この雑談の一片しか覚えていないのであれば、あの頃の私は何のために夜の講座に熱心に通ったのだろう…。)
 「僕がつくづく厭だな、こうはなりたくないな、というのがあってね。それは年取った教授たちがね、昼飯のあとなんかにね、こう、うとうと寝ている姿ね。それが何とも厭でね。自分は年を取っても、ああいう風にだけは絶対になりたくないって思うんだよ。」
 こんな類の話だったと思う。その時の私は『そんなものだろうか…』と聞いていたと思う。当時の先生はまさに脂ののった働き盛りの年齢だったのだ。
 その後、60代半ばという老年にさしかかった私は、食事のあと、椅子に腰掛けたまま、いつのまにか眠りに落ちてしまうことがある。ハッと目を覚まし、傷んだ頸椎をうたた寝でさらに痛めてしまったことを後悔するのだ。そして、食事の後、寝穢なく過ごしてしまった自分にがっかりする。2016年も一か月が過ぎ、やれやれ、というおまじないが増えてゆくばかりだ。

昨年11月からずっと咲き続けているボケの花(2月2日)
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