enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2019.6.24

 夏至も過ぎて、一年の半分が終わったことを思う。あっという間に失われた時間…うろうろと過ごしてしまった自分への、お決まりの不全感が増す季節だ。
 
 昨日の夕方、治療中の右足をかばいつつ、街に出た。やれやれ…1ヶ月前は旅に出て、リュックを背負い、カメラを提げ、毎日元気に歩きまわっていたのに…と思う。
 街の赤信号も、今は足を休める時間だ。信号が緑へと移り変わるまでぼんやり立っていると、横から、柔らかな声を掛けられた。すると、そこには数年ぶりに見る友の顔があった。
 
 二人とも平塚で生まれ、同じ小学校・中学校・高校に通った。
 そして今に至るまで、その人は私にとって、ずっと特別の存在だった。
 中学生の頃、学校から時折、一緒に帰るだけの係わりだったのに、なぜ特別なのか?
 私にとって滅多に出会えない人…と、直感的に、”片思い”のように確信してきたことの理由は分からない。
 とにかく、限られた自分の生涯のなかで、もし出会えなかったら、自分の内面世界が実にさびしいものになってしまったはず、と思える人が何人か存在する。そのなかで、もっとも淡い係わりを持ってきたのがその人だった。

 次の信号で別れるまで、ごくわずかなことしか話せなかった。
 それでも、思いがけずその人に出会えたことの余韻は続いた。

 買い物を終えて家に帰り、本棚から小さな写真立てを取り出す。
 30年近く前、海外で暮らしていたその人に頼んで送ってもらったものだった。
 ご夫婦で寄り添って微笑んでいるその写真は、大事にしていたからか、ほとんど色褪せていなかった。