enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2012.10.17

 16日朝、中山道を気ままに歩いている友人に同行して軽井沢駅に着いた。
 軽井沢を最後に旅したのはいつ頃だったのか、思い出せない。30年以上経っているだろうか。
 かつて、文学的な避暑地のイメージを漂わせていた高原の駅は、すっかり都市的で無機的な顔に変わっていた。
 中軽井沢から御代田に向かって歩き始める。外の空気は爽やかというより、ひんやりと冷たい(夏の間、暑いと過ごしていた過去の自分に、この冷蔵庫のような空気を送り届けたいと思った)。
 秋の空には浅間山がむき出しのような肌を見せ、畑や道や家々のまわりには、火山灰や軽石や溶岩があふれている。途中で立ち寄った遠近宮(おちこちのみや)に、”遠近の里”にまつわる伝説として在原業平の歌が紹介されていた。
        信濃なる 浅間の嶽に 立つけぶり 遠近人の みやはとがめぬ (『伊勢物語』)
 9世紀の東国では、富士山噴火802年や大地震(878年)など、大きな自然災害が続いた。元慶の大地震当時に相模権守となった在原業平だが、同じ東国である信濃国の火山活動を気遣っているようにも想像させる歌だ。
 
 馬頭観音道祖神、二十三夜塔、イチイの赤い実や蔦紅葉を楽しみながら、数時間があっという間に過ぎた。
 御代田に着いて焼町土器を見ようと博物館に向かうと、ちょうど「浅間火山展」が開かれていた。焼町土器を生み出した4500年前の人々も、9世紀の人々も、浅間火山の”けぶり”を気にしながら日々暮らしていたことだろう。
 
浅間山(2012.10.16)
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