enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

紙面は世に連れ、世は紙面に連れ。

 

”風習”というようなものとあまり縁のない家に育った私にとって、お盆の風習もなじみのないものだ。
それでも、ずっと、8月が「死」と重ね合わせの季節なのだと感じてきた。

季節のなかに夥しい過去の死者の魂が甦る…しんとした目のくらむような光のなかで、そういう時間に一瞬迷いこんだりするのは、8月のほかにはなかった。


昨日の朝、朝日新聞を手に取って『おや?』と、思わず時計で日付を確かめた。

その朝刊1面topには、「アフガン政権崩壊から1年 ― 娘のため 35万円のため 腎臓を売った20歳」のタイトルと、黒い布で頭と体を覆い顔をそむけた女性と小さな娘を絵画のようにとらえた写真が掲げられていた。
そして左横には、コロナ関連の記事とその写真が並ぶ。
1面を眺めて目に飛び込んだのはそれだけだった。

『今日は15日…終戦記念日だよね…』
(記憶力にとんと自信が無くなった私は、『終戦記念日は15日ではなかった?』と混乱した。)

でも、思い違いではなかった。
1面の左下に、「終戦 きょう77年」の記事が小さくはさまっていた。申し訳程度、注意書き程度のスペースと内容だった。

つまり、終戦記念日朝日新聞朝刊1面の紙面構成がシフトしただけだったのだ。
こんな扱いで良いのだろうか…今や、朝日紙の終戦記念日に対する姿勢とはこのようなものなのか…と感じた。

ただ、朝刊を読み進めるうちに、1面の紙面構成について、それはそれで…と自分にも思い当たることがあった。

戦後70年という節目のように、何か特筆するべきメッセージが出来しない限り、「終戦」・「敗戦」の記念日は、これからもいっそう”記念日化”してゆく流れなのだと、納得せざるを得なかったのだ。

それは世相と一体の流れであり、私自身が、祖父母や父母の世代からの加害の歴史を忘れずにいることも、8月15日を”敗北を抱きしめて”迎えることもできなくなっているのだから。

終戦記念日の紙面構成がシフトしたのではなく、私たちの認識がシフトしているのだと考えるほうが自然なのだ。

私たちは、忘れやすく、忘れたがる。
加害と被害とが背中合わせの記念日は、これからも、より記念日化し、儀式はより儀式化してゆく。

くらくらする暑さのなかで、そんなことを思った。