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私の第三十四夜をつづります。

憲法記念日の朝刊

 

2021年5月3日。
憲法記念日の朝刊を読む。1面には全国世論調査(郵送)結果の概略が出ている。

郵送による世論調査・・・確かに、6・7面にはその質問内容と回答結果が詳細に示され、「有権者の意識を探った」分析が展開されている。
また8面では、いつもの"オピニオン”の紙面で、憲法をテーマとする読者の「声」と社説が続き、さらに9面では、世論調査部による「記者解説:改憲 拮抗する世論」が組まれていた。
そして、紙面はそれだけで終わっていない。
2面(”総合2”面)には「憲法あっても途上の平等」、3面(”総合3”面)には「権利制限する「緊急事態条項」」の記事、さらに5面の「憲法を考える」では「女性の闘い 得たものは」として、”世界のジェンダー平等の歩み”や、大日本帝国憲法日本国憲法のもとでの日本の運動の歩みがまとめられている。
加えて、10面には「武力で暮らしは守れない!」(市民意見広告運動/市民の意見30の会・東京)の全面広告、20面には「市民の声はここに 憲法を守り、いかす政治を 5月3日憲法記念日」(戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター)の全面広告。
そして、最後の25面(”社会”面)では「緊急事態下 感じた憲法」の記事がおさまっていた。

紙面にこめられた熱量を感じた。
こうでもされないと(新聞から言葉を投げかけられなければ)、コロナ禍のなか、時代の足音に鈍感になっている私は、当たり前のように巡ってくるこの五月の祝日の一日を、のほほんと通り過ぎてしまうところだった。

紙面の熱量に気圧された私は、日本の現状にとどまらず、去年の1月に旅したミャンマーの今、悪夢のように暗転してしまった今について、思いをはせないではいられなかった。

ミャンマーの人々は、どのような憲法を掲げているのだろう? これからの新しい時代に向かおうとする若々しいエネルギーを感じさせた人々は今、自分たちの憲法をどのように意識しているのだろう?』と。


そのミャンマー憲法の第1章「国家の基本原則」工藤 年博 編『ミャンマーの軍事政権の行方』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2010年:補足資料「ミャンマー連邦共和国憲法(日本語訳)」から抜粋・引用)には、私たちの現・憲法と通じ合う次のような条文もあった。

「すべての国民は、憲法の規定する自由、平等、法の下の平等 等の権利を享受する」 (第21条(1))
「裁判所の許可なしに国民を24時間を超えて拘留してはならない」(第21条(2))
「公共の平和と安寧及び法と秩序の維持は国民の義務である」(第21条(3))

 

ことに、第21条(3)の「公共の平和と安寧及び法と秩序の維持は国民の義務である」という条文は輝いている。

『でも…』と思う。

今、私たちは、ミャンマーのこうした憲法が、あっけなく、無残に踏みにじられたことを知っている。

ひるがえって、日本においては、現・憲法を改定する必要があると考えるか、必要は無いと考えるか・・・人々にそんな問いかけが年中行事のように続けられている。
人々にそう問いかけ続け、答えを求め続けることの前提として、私たち自身が、現・憲法に掲げている”私たちの国のあるべき姿”を、日常的に不断に点検・維持・管理する必要がある。点検・維持・管理する義務がある。
その心構えを新たに強く刻みつけ、忘れないための”今日”なのではないか。
新聞社が「これでもか!」と作った紙面から、そんな思いにたどりついた5月3日だった。

 

~雨上がりの薔薇(5月2日 人魚姫の公園で)~

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(↓「プリンセスアイコ」の名が記されていた薔薇)f:id:vgeruda:20210503202219j:plain