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私の第三十四夜をつづります。

ミャンマーで ⑨ カメラで見てきただけ…その数々。

 

旅から帰ったあと、東京で友人たちと食事をした。
ミャンマーの旅に話題が及び、友人から「なぜ、ミャンマーに?」と問われた。
とくにこれといった思い入れはなく、家族の旅に同行した私は、その「なぜ?」という問いに戸惑った。
さらに話題は進み、友人はロヒンギャ問題についてのスーチーさんの対応が不満だと言うのだった。ここでは、もっと困った(友人は、スーチーさんにがっかりした気持ちになっているのだし、それはそうなのだったし…)。

ただ、ガイドさんが旅の最後に、ロヒンギャ問題に対する思いを私たちに訴えるように話したこと(ミャンマーやスーチーさんに対する国際的な批判報道が偏ったものであると考えていること、自国がまだまだ貧しいと思っている国民にとって、異教のムスリムの強さ…例えばその信仰や一夫多妻により子供が多いことなど?…への恐怖感があること、極端に言えば、将来的にムスリムに自国を乗っ取られるのでは?というような恐怖を感じていることなど)を思い出さないではいられなかった。

もちろん、ガイドさんの語る”危惧”が、宗教ナショナリズムの流れから生まれた杞憂に過ぎないかもしれず、そのやや内向きの認識について、友人が納得するわけもなかったけれど、スーチーさんの政治的な言動の背景には、ミャンマーの人々の現実の声があることは確かなのだと思ったのだ。

むずかしい…何事も。

『仏教の国ミャンマーで、僧侶をはじめ、現世で功徳を積む善良な人々の良心は、難民に対する差別や迫害の問題について、これからどのような答えを探してゆくのだろう?』
今、そんなことも思う。そして、同じようなことが、私たちにも問いかけられているのだろうと思う。

 

さて、ミャンマーで、私はいったい何を見てきたのだろう。
旅の写真の数々をもう一度眺めてみる。

そこには、何も考えずにシャッターを押し続けた観光客の目があるだけなのだった。
そして、次の旅に出かけたとしても、やはり観光客の目のままで終わりそうに思うのだ。

 

「なぜ、旅に出るのか?」・・・私の正直な答えは、たぶん、「日常ではない時空間へと羽ばたきたいから」という、ただそれだけのことらしかった。

 

【カメラで見てきただけ…その数々】

f:id:vgeruda:20200207134709j:plain浮島の家(インレー湖)

 

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 インレー湖のほとりー窓ガラスに咲く花(ヘイホー)

 

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花を持つ人(マンダレー)         パオ族の人(カックー)

 

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19世紀の木彫像(シュエナンドー僧院 マンダレー

 

19世紀の木彫像:”守護神”(旧王宮 マンダレー

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f:id:vgeruda:20200207154929j:plain森に浮かぶパゴダ群(ミンナントゥ村で バガン

 

夕刻のレイミャナー寺院(ミンナトゥ村で バガン)

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f:id:vgeruda:20200207154947j:plain                 壁龕に横たわる仏様(ダマヤンジー寺院 バガン