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私の第三十四夜をつづります。

実慶作の仏様にまみえる。

 

17日朝、鎌倉に出かけた。

午前9時の小町通りはまだ歩く人もまばらだった。
細長い通りの最奥… 初めて見る”小町通りの消失点”…には、八幡宮の裏山につながる緑があって、新鮮だった。

八幡宮に着き、源平池のほとりに立ち寄ってみる。平家池のそこかしこに、大きな白い蓮が”うてな”をもたげていた。

掃き清められた境内の道を鎌倉国宝館へと進む。
今日はその特別展「北条義時とその時代 Voⅼume 3-1」で、7年ぶりに実慶作の阿弥陀三尊像を拝するのだ。そして、修禅寺大日如来像にも初めてまみえることができるのだ。どのようなお姿でいらっしゃるのだろう…と心がはやる。

そんなはやる気持ちを押さえながら、館内をゆっくりと何度も何度も行き来した。
仏様の前から、そして後ろから、さらに横から、無遠慮に覗き込み、そのお顔から伝わる何かを感じ取ろうとした。

『どこか、何か違う…?』
確かに、今回はそのように、実慶作の仏様たちをグルグルと角度を変えて拝することができた。ただ、仏様たちは落ち着かない空気を醸し出してもいたのだ。
(やはり、「かんなみ仏の里美術館」のような仄暗い空間におわすほうが心落ち着かれるのだろうか? そんなことを思った。) 
結局、仏様に対峙する私の不躾なふるまいのせいなのか、実慶作の仏様たちはそうたやすく語りかけてきてはくださらなかった。

一方で、そんな思いと背反するように、伊豆山の菩薩坐像や走湯権現立像、慶派仏師による菩薩面・舞楽面などを懐かしく拝した(仏師の手による面を見るたびに、伊豆山男神立像の顔貌の謎を解き明かしてくれるのではないか?という妄想が浮かぶのだった)

また、荏柄天神社の天神立像や瀬戸神社の神像群の刺激的な造形にも心躍った。
さらには、白山東光禅寺(横浜市)の薬師如来坐像にも出会うことができた。
(この東光禅寺の薬師如来像の造形は、その小ささのためか、過剰に美しく繊細なものに感じられた。このような造形を持仏とした鎌倉武士の心は、そこに何を求めたのだろう? この造形を生み出した仏師はどのような人だったのだろう? そんなことを思わずにいられなかった。)

こうして、国宝館の異空間でいっとき日々の憂いから解放されたあと、午後の鎌倉の町並みをくぐり抜けて駅へと舞い戻った。

観光地には、いつも通りの人混みと炎暑が渦巻いていて、そこから一刻も早く抜け出したいと願っている自分にがっかりした。
情けないことに、国宝館のあとに予定していた歴史文化交流館まで足を延ばす気力も体力も残っていなかったのだ。
本当に年を取った…こればかりはどうしようもない…心も身体もいうことをきかないのだった。

 


朝9時の小町通り

 


可愛い13人の重臣たち

 


平家池をおおいつくす白い蓮