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私の第三十四夜をつづります。

『令和4年度 かながわの遺跡展』の土偶たち



7日、神奈川県立博物館に出かけた。
1997年から仲間とともに学び始めた考古学…なかでも、縄文人とその文化については、興味を共有すること、愉しみを分かち合うことが多かった。

まず、表面採集で縄文土器のかけらを拾った。そして市内から出土した縄文土器たちをお手本に”縄文ふうの土器”を作った。黒曜石の”石器もどき”を作った。勾玉も作った(石材は滑石だったけれど)。火起こしもした。カラムシで服を織りダンベイキシャゴで飾った。海水を汲んで塩づくりにも挑戦した。さまざまな縄文遺跡や考古博物館を訪ね、さまざまな先生方の講座を聴いた。すべてすばらしく楽しかった…そして、仲間たちとのそんな活動は、遠い記憶の底に眠ったままになっていた。

で、今回の遺跡展(副題「縄文人の環境適応」)では、仲間と一緒に学んでいた頃の記憶が久しぶりにシャッフルされた。

もう忘れていることもあった。まだ覚えていることもあった。新たに見るもの、新たに知ることもあった。

展示を巡ってゆくと、見たことのある土器・土偶に出会ったり、現地見学会での生々しい情景がよみがえったりした。

昨春から再び縄文時代の出土資料整理に参加するようになったことの延長として、今日の見学があること、そして、私が1997年に考古学に出会ったことの偶然に思いをはせた一日だった。

 

【『令和4年度 かながわの遺跡展』で印象に残った土偶と顔面把手】
 (*今回の展示でも、一部を除き、カメラ撮影が許可されていた。ありがたい…)

展示されている資料のなかで、ことに土偶たちは、その親しみやすい姿かたちを通して、さまざまなことを語りかけてくる(ほぼ、アート作品なのでは?と感じてしまう…)

 

中期の土偶相模原市 下原遺跡):
この土偶の表情が、平塚市の万田貝殻坂貝塚出土のものと似ているように思った。
しかし、帰宅後に『平塚市史』で確かめると、”愛らしい表情”という以外、まったく似ていなかった(自分の”観る力”にはいつもガッカリさせられる)

         

 

中期の両面顔面把手(座間市 蟹ヶ沢遺跡):a 面  中期の両面顔面把手(座間市 蟹ヶ沢遺跡):b

a 面からもれる光                 b 面からもれる光

『なぜ両面に顔が?』と思う。
どちらがオモテ面でどちらがウラ面なのか?
同じように作ったつもりが、結果的に違う形になったのか? それとも、初めから違う顔に作ったのか?
(私には、眼の形と頬っぺたのラインの違いから、面と名付けてみた顔のほうは少女らしく、面とした顔は少年らしく見えた。)
彼らの唇は呼吸し、歌ったり、声を発しているように感じられる。
(中空であることを確かめようとカメラを構えて覗き込んだ。写真はぶれてしまったが、確かに、眼と口は光を通していた。)

 

後期の土偶鎌倉市 東正院遺跡):      後期の土偶藤沢市 西富貝塚
見た瞬間、「カオナシ」かと思った。  こちらは、「アマビエ」かと思った。

左:後期の土偶平塚市 王子ノ台遺跡)   右:後期~晩期の動物型土製品(横浜市 華蔵台遺跡)
平塚出土の左は馴染みのある土偶(手足の短い「鉄人28号」か、横綱の「朝潮」さんだろうか?)。
右の土製品はお餅か枕のような形(”ネコ似”のミミズクなのだろうか)?