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私の第三十四夜をつづります。

比々多神社周辺の今昔の姿を訪ねる。

 

26日午後、久しぶりに伊勢原市・比々多神社に向かい、「~比々多一万年の旅~ 比々多の今昔を歩くツァー」に参加した。

晩秋らしく菊の花が配された比々多神社境内から、
化粧塚古墳(円墳)、前畑遺跡縄文時代弥生時代後期~古墳時代前期の集落跡)、下尾崎遺跡(横穴墓)、上栗原遺跡(横穴墓)、保国寺(丈六地蔵尊、「廻り地蔵」)、らちめん古墳(円墳)、比々多神社元宮を巡り、比々多神社(三ノ宮郷土博物館)へと戻った(貴重な出土遺物が並ぶこの空間に入ったのは四半世紀ぶりだった)

かつて平塚市博物館古墳時代の比々多の地域について学んだことはほとんど忘れかけ、新たなことはさらに吸収できていない私だったけれど、考古学の学芸員さんの専門的で楽しいお話を聴きながら、”相武国の奥つ城”ともいえる比々多地域を新たな角度から見ることができて嬉しかった。

なかでも、下尾崎遺跡出土の輪鐙が日本でも数少ない資料であることなどは初めて知った。ともすれば金銅装馬具などに目を奪われがちな私にとって意外でもあり、興味を感じた(帰宅後に調べてみると、似たような輪鐙が隣県の静岡県長泉町・原分古墳から出土しているようだった。)

また、この比々多の地にあった恵泉女学園の名残りはどこにも無く、「らちめん古墳」の将来的な保存が心もとない状況にあることを知ってショックを受けた(”比々多一万年の旅”のなかで、突き付けられた現実的課題の大きさにたじろぐしかなかった)

”一万年の旅”を終えて帰りのバスに乗り、月日の流れ、世の移ろいを感じた。
しかし、その感傷も、すぐさま、バスを乗り間違えた現実的大失敗に気がついて飛び散ったのだけれど…。やれやれ。

 

【左】比々多神社の”今”  
【右】三ノ宮郷土博物館内で(「東海道の官道・国道変遷図」):伊勢原市は、市内の「笠窪字三ノ輪」の地を「箕輪駅」と比定している。偶然にも、帰りのバス(行く先を間違えて鶴巻温泉に向かい、再び伊勢原駅に戻ることになった)から、その史跡の石碑を眼にした。今のところ、平塚市には具体的比定地は無い…伊勢原市に「三の輪」の遺称地があるのは手強い…。                                  

 

          

”今”の道際に残る「化粧塚古墳」(円墳:左手部分)

 

【左】「上栗原遺跡」の”今に近い昔”(現地の説明板の写真から)
【右】「上栗原遺跡」の”今”

 

保国寺(丈六地蔵尊、「廻り地蔵」):先代(たぶん?)のご住職のお話を聴きながら、最近の私はこうしたお寺でのお話がありがたくてしょうがないのはなぜ?と思った。

 

【左】比々多神社元宮からの眺望:斜面にはミカン畑、相模湾には江の島…。
【右】比々多神社本宮:この地点に古墳が築かれていても良さそうなのに…。

 

【左】「らちめん古墳」の石室の大きさを示すために身体を張る考古学学芸員さん!
【右】「らちめん古墳」の説明板:『どうか、せめて現状保存が保たれますように…』