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私の第三十四夜をつづります。

「下総国府・葛飾郡衙」に会いに行く②

その日の会場である和洋女子大の高層階の会議室には、素晴らしく大きな窓が広がり、外界を屏風絵のように切り取っていた。
その西向きの窓からは、ゆるやかに蛇行する江戸川の流れ、スカイツリーをとり囲むビル群、首都圏を覆う大きな天蓋を一望できた。
また建物の東側からは、まさしく「下総国府・葛飾郡衙」推定地の景観が見渡せたのだった(このような「下総国府・葛飾郡衙」に出会うにふさわしい場を用意してくださった方々には感謝しかない)

いよいよ、待ちに待った講演・シンポジウムが始まるのだ…。

 

 

【「下総国」から「太日川」、そして「武蔵国」を望む和洋女子大学の西側の窓から)

 

【下左】発掘調査がほぼ終了した「国府台球場」下総国庁推定地〕
和洋女子大学の東側の窓から)
〈追記〉14日に読んだ『千葉日報(9月1日付け)の記事によると、国府台球場の調査では、残念ながら国庁に相当するような遺構は検出されなかったようだ。
なお、9月以降は南隣の千葉商科大学構内の調査が行われるとのこと。
国衙域のやや西寄り(駅路寄り)の第2地点(おそらく【下右】の写真の左下あたり)では、すでに調査が行われているが、その西側一帯だろうか?

 

【下右】千葉商科大学のキャンパス和洋女子大学の東側の窓から)
過去の調査では、国衙域の東端を示すような区画溝(第4-8地点)が検出されている。

 

【下】国府台南端の緑に隠れる弘法寺、そして「第192‐3地点」(県営住宅地)
国府郡衙が地続きに立地することを、初めて体感できた眺めだった。
関東地方で、国府郡衙が併設された事例として、「下総国府・葛飾郡衙」が新たに加えられる日も近いのかもしれない相模国府と大住郡衙の場合は、いまだ展望が開けないけれど…)

弘法寺の第3地点からは、規則性をもった掘立柱建物群(屋?)、南北方向の柵列と溝が検出されている。
今回のシンポジウムの焦点である第192-3地点(県営住宅地)で確認された掘立柱建物群・南北方向の溝群との関連性が気になった。
両地点は100mと離れていないことから、郡衙域として一体性をもつ遺跡群として想定できそうだ。ちなみに、第3地点の側柱建物群の主軸は2種類に分かれる…規則性のある東西棟は東に斜めに振れ、南北棟はやや西に振れる…のに対して、第192-3地点の側柱建物群の主軸は、ほぼ真北を示すようだ。なお、192-3地点では布掘りの総柱建物、版築遺構も検出されている。正倉群のイメージだろうか。)

 

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