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私の第三十四夜をつづります。

国府台野球場の発掘現場で…溝の謎は続く。

 

28日、調査中の国府台野球場の見学会が開かれると知り、再び市川市に向かった。

現場に着き、配布資料(第28-26地点1区・2区)を見ながら、まず1区で担当者の方の説明を聞く。
今回、想定通りに「国衙の主要施設を区画すると推測される溝の北東隅(1区:「溝1」・「溝2」)と北西隅(2区:「溝3」)」が確認されたことが分かった。

想定された国衙域の北端において、これらの「東西220m程」の溝(8世紀中頃~9世紀前半頃)が出たことで、次は、下総国府の国衙域の南端を区切る東西区画溝が存在するのかどうかが一つのポイントになりそうだ。

また、国庁などの中枢施設については、現段階で国府台野球場内で発見に至っていない(竪穴住居が多く分布する国府台野球場北部より南の未調査区域や、和洋女子大内や他地域での今後の調査に期待したいと思う)

帰宅後、再び、素人目でこれまでの資料を眺めた。

国府台野球場外の東部・西部で検出された掘立柱建物の方位がやや東に振れるものが多いのに対し、野球場内の掘立柱建物はほぼ正方位であるようだった。

また、下総国府に関するこれまでの調査で検出された竪穴建物の年代別変遷が明らかになれば、野球場内の竪穴建物群についても、今回の「8c中頃~9c前半頃」の区画溝とともに、その性格の推定が可能になるように思った。

なお、過去の調査図〔28区?〕で示されていた短い柵状遺構〔?〕が、今回の配布資料では新たに約40mの長い柵状遺構〔?〕として示されているように見える(今回検出した東西溝の約10m内側を、溝に並行するように走っている)。これがもし、国衙区画内の長い柵状遺構〔?〕であるならば、その性格にも興味をひかれる。

相模国府域の場合は、「国府域」は推定されていても、具体的な区画溝などは確認されていない(東・北・西に流れる河川、砂洲・砂丘、その間の凹地などが、自然地形による区画ラインとなっているのだろうか?)。その一方で、国府域内は大小さまざまな溝が縦横に走っている。

昔、相模国府の勉強をしていた時に「これからは”溝”が重要だよ」という言葉を聞いてから十数年…いまだ、相模国府域内の多くの溝は謎のままだ。

そして、下総国府の溝は今、もっともっと謎めいて見える。資料上で眺めるそれらの溝はどんなふうにつながり、いったい何を区画し、何に使われたのだろう?

 

 

西から見る1区の東西溝手前は「溝1」。北東隅の先にさらに「溝2」が東に延びている。国府台遺跡第28-26地点1区)

 


北から見る1区の東西溝「溝1」(北東隅部分)と、さらに東に延びる「溝2」:
L字状の「溝1」は幅約1.8mほど。「溝2」はやや狭く、延長先は崖状となっているので、「溝2」もまた、直角に南に曲がる区画溝となるのだろうか?国府台遺跡第28-26地点1区) 

 


1区西側の「溝1」の断面(北西から)

 


東から見る2区の東西溝「溝3」:東西溝の北西隅はやや角丸状。国府台遺跡第28-26地点2区)
【追記】

31日の「千葉日報オンライン」によれば、「2区の溝3」はつい最近発見された、とのこと。28日の見学会は、酷暑の夏の調査を経て、想定通りの成果が出たばかりのタイミングだったようだ。
「国衙」区域示す溝初公開 発見間もない成果も見学 市川・国府台遺跡 | 千葉日報オンライン (chibanippo.co.jp)

 

過去の調査の出土遺物①(「大溝」出土:下図の「大溝」

 

過去の調査の出土遺物②(「区画内」出土:下図のピンク破線

 

調査図ピンク部分:過去の調査の遺物出土地点)

 

個人的map:下総国府の国衙区画溝(第28-26地点1区・2区)