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私の第三十四夜をつづります。

「下総国府・葛飾郡衙」に会いに行く①

 

9日朝、予定より早く家を出て、市川へと向かった。
午後の講演・シンポジウム「下総国府と葛飾郡衙 最新の調査成果と今後への展望」が始まる前に、国府台駅から県営住宅が建つ第192地点まで、『図説 市川の歴史』市川市教育委員会 2006年)に記された”卑弥呼の頃の市川”や、”手児奈の風景”を思い描きながら、ゆっくりと歩いてみたかったのだ。
(この本は、その執筆者のお一人からいただいた特別なものだ。この本を手にするたびに、本が届いた時にとても驚いたこと、何ともいえないほど嬉しかったことを思い出す。)

思えば、市川にはずいぶんと足を運んだ。
2004年頃から2017年まで、現地説明会や市川考古博物館の講座などで、10回近く市川を訪ねているはずだ。

今回は、国府台駅から「真間の入江」の景観の記憶を残す真間川べりをたどり、赤く小さな「つぎはし」を渡って、手児奈霊神堂に立ち寄るルートにした。
そこからは、国府台の高台に建つ弘法寺へと急な階段を登る。

台風が抜けて、携帯の雨傘は日傘になった。
仁王門の仁王様に挨拶をして、境内で一休みした。

弘法寺から、千葉商科大学の裏手の小道を抜け、2017年の現地説明会の跡地(第192地点(1))に行き着く(当然のごとく歳月は流れ、あの大型道路や側溝などの遺構はどこにもない)

古代の大型道路跡:国府台遺跡第192地点 - enonaiehon (hatenadiary.jp)

 

鬱蒼とした森の急な坂道を降りて、午後の会場である和洋女子大へと歩道橋を渡った(歩道橋には森から降り注いだ葉や実が敷きつめられていた。古代駅路がこの近くを走っていた頃の、国府台の深い森の景観を想像できるように感じた。平塚市では北金目地区の景観が開発によって異様に様変わりしたことを改めて残念に思ったりした)

 

東西に流れる真間川(江戸川近くの根本橋から)     赤く小さな「つぎはし」


弘法寺仁王門から市街を覗く