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私の第三十四夜をつづります。

考古学者の「百済観音」

『疲れたなぁ…暑いなぁ…』『暑いなぁ…疲れたなぁ…』
それでも、光や風がやわらぎはじめた。
少しずつ、本も読めるようになってきた。

先日、古本屋さんから届いた『百済観音』(浜田青陵 平凡社を開くと、古書独特の湿った匂いがした(『百済観音』の文章にも独特の匂いがあり、その時代感のある几帳面な言い回しなどに、私はかえってエキゾチックな魅力を感じた)

掌にのりそうなほどに小ぶりな本は、お抹茶色の布地にくるまれ、表紙の左下には古代瓦のような蓮の花弁文様が押されている。

そして巻頭には「法隆寺 百済観音像」の上半身の白黒写真が挟まれ、また、目次に続いて「百済観音像」の一篇がはじまる見開き頁には次の歌が掲げられていた。

 ほゝゑみて うつゝこころに ありたたす
        くたらほとけに しくものそ なき     秋艸道人                  

この見開きを眺めながら、こんなふうに作られる本は幸せだなぁ…と思わないではいられなかった。
(ちなみに、百済観音の歌を詠んだ「秋艸道人」が会津八一であること、この歌をおさめる『南京(なんきょう)新唱』が彼の第一歌集であることを初めて知った。)

そして、浜田青陵の「百済観音像」を読むうちに、念入りに正確に表現しようとする文章のなかにも、慎ましさ・敬虔さのようなもの…筆者自身が、”百済観音の「エウロジー」”と記しているように…を感じた。
また、門外漢の私には初めて出会う言葉も多く、それらについて調べるのも楽しい寄り道となった。

「…このように躯幹の簡単な形状は…たとえばサモス島発見にかかるケラミュエース奉献のヘラ像(ルーヴル博物館)などとすこぶる相似ており、これは百済観音像の躯幹が、棒状の一木から立像を彫り出した原始的手法の伝統に、よほど支配せられていることを示すものといわなければならない。しかしヘラの像などよりもはるかに進んだ手法に出でていることは、後でいうように側面観において百済観音は、材料の条件が許し得る範囲において、できるだけの変化曲折を試みていることによって知られるのである。…」〔『百済観音』(浜田青陵 平凡社 1970年)から抜粋・引用〕

ここを読んで私は、初めて、百済観音像が一木造りであることを実感したように思った。
(『そうか…神が天上から私たちのもとへ、ふわりと降り立ったようなあの軽やかさ、立ち顕れ方というものは、神聖な樹木から木の精霊が抜け出たごとくに彫り出されたものだったのか…』そんなふうに感じたのだ。)

また、私はこれまで百済観音像の表情について、他の仏像彫刻とは比べることのできないもの…文字通り比類ないものとして曖昧なままに見過ごしてきたけれど、浜田青陵は次のように正直に言語化していた。

「…私は百済観音の崇拝者であっても、その面貌が観世音菩薩の慈悲に富んだしかも神々しい神格を表現しているということを憚るのである。もしもこれを現わすことがこの像の究竟の目的であったとすれば、古代彫刻家はまさしくこれに失敗しているというよりも、彼の技術は不幸にしてこれをよくする域には進んでいなかったというほかはない。その面長な下膨れの顔は、扁桃状の眼、両端の上へ曲がった小さな口とともに無邪気(Innocence)そのものを表現しているのみであって、そこに特殊の神々しさも、美わしさも、認めることができない。もし神々しさがあり、優しさがありとすれば、それは小児の無心からくる神々しさと優しさとであって、観音自身がそれを持っているというよりも、むしろわれわれ鑑賞者のほうから主としてこれを移入するものにすぎない。ただ素朴な民族の間に生まれた小児のごとき無邪気さが現わされているだけである。…」百済観音』(浜田青陵 平凡社 1970年)から抜粋・引用〕

ただ、筆者がこのように語っていることと、私が抱いてきたおぼろげな印象とがすんなり重なって、百済観音の表情をクリアに捉えられるようになったわけではなかった。

むしろ、私は百済観音の表情(の比類なさ)について、「(技術が)進んでいなかった」ことによる…というふうに感じたことはなかった。
その全身の類まれなシルエットと同じように、類まれな表情表現…鋭角に尖る鼻梁のシルエットや閉ざされているように薄い瞼の横顔はことにそうであって、「小児のような無邪気さ」とは別のものであるように思われる…が施されたとして、いったい、そうした表現によって何を伝えようとしているのかが分からなかったのだ。

それは今も分からないままだ。
安易な結論だけれど、案外、それで…分からないままで…「正解」なのかもしれない。

20年以上の昔、法隆寺を訪ねた時に買った百済観音の絵葉書を取り出して、矯めつ眇めつ眺めていると、今夏の灼熱の記憶が少しばかり遠のいてゆく。

百済観音が秋の奈良路へといざなっている。

 

左:「木造百済観音像 飛鳥時代(2001年 法隆寺で購入した絵葉書から)                  
(横顔):『百済観音』展(1997年 東京国立博物館のチラシから)



~9月になってからの夕焼け~

 

~空低くにピンク色の横筋(家族から貰った写真 9月8日の平塚海岸で)