enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

「かながわの遺跡展」で。

 

13日、2022年夏に開館した茅ケ崎市博物館を初めて訪ねた。
『華ひらく律令の世界』(令和5年度 かながわの遺跡展)の展示を見学し、その足で市役所に向かい、井上和人氏による『なぜ「律令国家」なのか』の講演を聴いた。

茅ケ崎駅と、博物館が所在する堤坂下との間をバスで往復するなかでは、あれこれと思い出すことも多かった。
真新しい博物館のモダンな建築にも、また講演会に携わる人々の姿にも、一つの時代…私が考古学を学んでいた頃の…が遠く去って、別の新しい時代が始まっていることを感じさせられた一日だった。

そして、相模国府研究の進展を願い続けている一市民として、「過去の考古学的成果」を「骨董的に鑑賞する」だけで終わっている現状を淋しく思った(一方で、高座郡家については、今も確認調査が続き、新しい成果が積み重なっていることをうらやましく感じたりもした。)

 

~「かながわの遺跡展」で~

相模国府域のパネル:
今回の図では、国府域外の西に展開する官衙的な集落遺跡「中原上宿遺跡群」が加えられている。これまで、”大住軍団”などの軍事的拠点か?といった想定もされたこの遺跡群について、東の国府域へとつながる新町遺跡・東中原G遺跡・東中原E遺跡とともに、新たな分析によって、その位置づけが明らかにされることを願っている。

【個人的map:相模国府域と国府域外の関連遺跡】

 

左:「推定 相模国庁 東脇殿の遺構」のパネル〔註:上が北になるように展示を回転〕
右:「みつかった相模の国庁」のパネル

〔註:写真右のパネル「みつかった相模の国庁」は、図録では次の解説が続く。
「現在のところ、平塚市四之宮周辺に相模国府が存在したことは確実で、平成16年度に行なわれた湘南新道建設に先立つ発掘調査によって、六ノ域・坪ノ内遺跡から東西に2棟が並ぶ大型の庇付きの建物跡が発見され、国庁脇殿と考えられています。また、平塚市で見つかった相模国府(大住国府)の成立年代は8世紀中頃ということも判明しました。」(『令和5年度 かながわの遺跡展 華ひらく律令の世界 The Blooming World of RITSURYO』 2023年 神奈川県教育委員会

 

平塚市内出土の緑釉陶器(上段左から:埦‐真田・北金目遺跡群 手付瓶‐林B遺跡 
             下段左から:埦・皿‐林B遺跡 
香炉蓋‐構之内遺跡 合子‐高林寺遺跡)
律令社会”の出土遺物のなかで、緑釉陶器はその色調といい、「輪花」・「花文」といった装飾といい、”華ひらく”という形容にふさわしいものだと思う(軒丸瓦などにも古代の”華やぎ”を感じるけれど)

 

~講演会会場で~

高座郡家の遺構配置の空中写真

 

「厨」墨書土器
講演会の会場では、「厨」墨書土器の出土地点を確かめることができなかったけれど、おそらく「郡庁院」と「館・厨」の西側(北稜高校の校舎の跡地)で出土したものではないだろうか? 
以前、西方遺跡(下寺尾官衙遺跡群)の平安時代の溝 - enonaiehon (hatenadiary.jp) のなかで、郡庁の西側で検出された区画溝の年代(9世紀後半~10世紀)に期待したように、この「厨」墨書土器の年代がもし9世紀代であれば、改めて高座郡衙の廃絶時期を見直す資料になるのでは?…と思い、ワクワク?した。