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私の第三十四夜をつづります。

北条時政書状(1203年)を見て、金沢三山を巡る。

金沢山(きんたくさん)からの眺め:中央奥に小さく浮かぶのは猿島だろうか?

 

26日、友人と金沢文庫に出かけた。

夏に横須賀美術館の『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』展を見逃していたので、ようやく念願がかなうこととなった。

2018年に浄楽寺・満願寺や清雲寺の仏様たちに出会ってからまだ4年しかたっていない。でも、私の脳味噌の糠味噌化のせいか、過去の記憶の影響は少なく、今回、金沢文庫での再会は、ほとんど初めての出会いのように新鮮なものだった。

ことに、満願寺のお地蔵様・菩薩様は、かつての記憶を塗り替えるように重々しく威圧的な印象だった(それはまるで、ちっぽけな自分が圧し潰されそうなほどの迫力なのだった)。4年前よりさらに巨大なパワーを蓄えるにいたったのではないか?…そんなふうに感じた。

また、秦野市金剛寺の「観音菩薩及び勢至菩薩立像」にも眼を見張った。『…今どきの少女のフィギュアか?…』と不敬な感動を覚えた。800年前の美意識が仏像の形を通して具現化され、現代へとつながって眼の前で確かに息づいているのだったから。

仏像群の合間では「宗元寺跡採集瓦」や「北条時政書状」にも見入った。   

”忍冬文”をもつ「宗元寺跡採集瓦」は、帰宅後に展示目録を見ると曹源寺所蔵のものだった(図録を買い求めた友人に確かめてもらうと、奈良・西安寺の軒丸瓦と同笵のものに違いなかった)。平塚市で出土する蓮華文の古代瓦とは趣の異なる「宗元寺跡採集瓦」の”忍冬文”・”パルメット文”は、とてもエキゾチックなのだった。

そして、「北条時政書状」も、今年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で作られた時政像とは全く重なるところのない筆使いだった。
『時政…何だかカッコいいなぁ…』と、思わず心の中でつぶやいていた。
修禅寺宝物館で北条政子の自筆とされるものを眼にした時と同じように、時政の場合も、その人がしたためた書状は、あたかも自画像を描くように、当人の印象・個性を生々しく伝えているように感じられた。

館を出ると、あまりに秋の空気がさわやかだった。友人と金沢三山を巡ってみることにした。年上の友人は膝を、私は股関節周りを気にしながら、小さな山歩きをゆっくりと楽しんだ。コロナ禍とはいえ、良い季節は小さな山の中にちゃんと潜んでいた。

 

【追記】
北条時政については”伊豆の在地豪族”、また”脇役”としての設定のためか、TVの大河ドラマ平清盛』や『鎌倉殿の十三人』などにおいても、その人物の知的な面差しなどは描かれてこなかったように思う。

これまで”伊豆”という地について、私の妄想のなかでは、中央貴族やその子弟が流離の末にたどりつく場、ひいては、その出自・性向、学識・教養を受けとめる場が伊豆山ではなかったか?というイメージがあった。

なので、今回初めて「北条時政書状」を目にした際も、その慣れた筆使いに貴種の末裔としての矜持のようなものを感じ取った(これもまた妄想的感受性ではあるけれど)。

さらには、歌人相模が走湯権現に百首を奉納したことも含めて、往古の伊豆山は、都や貴族的なるものへとつながる心象・イメージを内包し、北条時政源頼朝を結びつけ、引き寄せる知的な重力空間ではなかったか?と空想した。

 

 

金沢三山の日向山で:背後には暗い林と青い空…。

 

阿字ヶ池のアオサギ:そういえば、今日の私たちの歩き方は、アオサギの”抜き足差し足忍び足”に近づいていたかもしれない。何も急ぐことはないのだし…。