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私の第三十四夜をつづります。

「高座郡家~七堂伽藍跡」の【個人的map】を作りながら。

 

今回、「小出川河川改修事業関連遺跡群」の成果についても、改めて見直すことになった。
小出川の川沿い(七堂伽藍跡の西側~JR相模線線路沿い)は、高台上の高座郡庁周辺域とは様相を異にして、掘立柱建物や竪穴建物などの遺構が高い密度で分布し、旧河道も含めて、多様な遺物が出土していたのだった。

そして、その在り方が相模国府域の遺跡の雰囲気に重なるように感じた。
(これまで、相模国府域での緑釉陶器や皇朝十二銭などの出土様相から、その盛行期を9世紀代として大まかにイメージしてきた。そして今回、小出川沿いの調査成果にも、そのイメージと似たものを感じたのだ。こうした小出川沿いの様相の背景には、当時の郡司層…9c中葉の大領・壬生直黒主(高座郡)や大領・壬生直広主(大住郡)につながるような “壬生氏”の存在…があるのだろうか?)

なお、緑釉陶器については、相模国府の”後追い”のような出方に見える一方で、皇朝十二銭については、8世紀中葉初鋳の「万年通寶」や、8c末~9c初頭の「隆平永寶」・「冨壽神寶」などの集中的な出土が、相模国府域での皇朝十二銭の出方より”先行”するかのように見えて興味深く感じた。
(もし平塚市内で「万年通寶」…現時点では出土を確認できていない…が出土するならば、それは国府域内ではなく、真田・北金目遺跡群ではないか?と想像する。)

はたして、当時の高座郡・大住郡の郡司層の活動皇朝十二銭などを伴う何かしらの祭祀・奉賽…と、官衙相模国府や高座郡家)・寺院(七堂伽藍)造営の動きとは連動するものなのだろうか?

 

【個人的table]:平塚市および茅ヶ崎市(「高座郡家」周辺)から出土した皇朝十二銭】

主な参考資料:
・『平塚市内出土の古銭』(2008年 平塚市史編さん担当)
・「下寺尾官衙遺跡群の保存と調査~相模国高座郡衙と下寺尾廃寺(七堂伽藍跡)~」(2015年 大村浩司)
・「香川・下寺尾遺跡群の発掘調査の成果」(2006年 河合英夫)
・『小出川改修事業関連遺跡群Ⅱ』(2008年 財団法人かながわ考古学財団)・
小出川改修事業関連遺跡群Ⅲ』(2009年 財団法人かながわ考古学財団)
・『真田・北金目遺跡群』(2013年 平塚市博物館 平塚市社会教育課)

 

素人の妄想の最後に、現在進行形の「高座郡家」のおさらいとして、「高座郡家~七堂伽藍跡」の【個人的map】も残しておきたい。

 

【個人的map:高座郡家と七堂伽藍跡の概容】