enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

大住郡関連墨書土器

これまで、平塚市域からは、相模国府域を中心として「大住」・「住」・「郡厨」・「大住厨」・「大厨」など、〝大住郡″の関与を示す墨書土器が20点以上出土している(2001年時点)。
一方、相模国を構成する他の郡からは、郡の関与を示す墨書土器として、「高坐官」(海老名市大谷向原遺跡)、「郡」(海老名市大谷真鯨遺跡)、「高坐」(綾瀬市宮久保遺跡)、「上主帳」(小田原市下曽我遺跡)などが出土している。これらの出土点数は、高座郡3点、足下郡が1点と、平塚市域の20点以上の大住郡関連墨書土器に比べて、いずれも少ない。
では、平塚市域で大住郡関連墨書土器が多く出土するのはなぜだろうか。その背景の一つとして、国府所在郡である大住郡の平塚市域において、国府機能と大住郡機能とが併存していたことが考えられるだろう。つまり、公的な器物について、国と郡とのどちらに帰属するかを、墨書によって区別する必要があったことが推定される。言い替えれば、国や郡の宴・儀式、祭祀などに使われた器物の所属は、国府所在郡ではない他の郡においては、さほど区別が必要とされなかったと思われる。
現在、大住郡庁(郡家)の所在地は明らかになっていない。大住郡関連墨書土器を多数出土する地域が、平塚市域以外に見当たらないことが、すなわち、大住郡庁(郡家)が平塚市域に所在したことを示すことにはならない。しかし、平塚市域の20点以上の大住郡関連墨書土器の存在は、相模国府域における大住郡の機能の活発な痕跡を示すものであることは確かだと思われる。
 
【註】平塚市域では、「大」の文字を含む墨書土器全体としては約40点出土する。そのうち、大住郡関連墨書土器である「大住」・「大住厨」・「大厨」、また「大仏」・「大上」・「高大長」・「大(または)丈」とされるものを除くと、18点ほどの「大」・「大(か?)」墨書土器が残る。
これらの「大」が、吉祥の意味合いの「大」なのか、「大住」など別の文字を略した「大」なのか、分かっていない。
ただ、「大住」・「住」など大住郡関連墨書土器を出土する遺跡から、これらの「大」墨書土器が出土する傾向がうかがえる。
なお、18点の「大」「大(か?)」墨書土器のほかに、複数点出土する一文字の墨書土器として、「福」「吉」「春」「田」「山」「雲」「西」「井」「川」「土」「石」「万」「真」「仁」「有」「垂」「生」「王」「主」「日」「工」「丈」「平」「家」「𦊆」「瓮」などがある。