enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2022-01-01から1年間の記事一覧

起雲閣で”富士山~箱根山~日金山・伊豆山”を眺め直す

24日、久しぶりに熱海に出かけた。(4年前に初島を訪ねて以来の熱海駅は、驚くほどの人出だった。坂道を歩く人々の波にも、コロナ禍の長い鬱屈をはらいのけるような明るさがあった。) 人々の賑やかな流れの中を縫って「起雲閣」をめざす。その日の起雲閣で…

2週間の空虚。

8日午後のネット上の速報、そして翌日の朝刊1面に広がった「安倍元首相 撃たれ死亡」の文字を目にしてから、半月ほどの時間が流れた。 『そんなことが本当に起きるものだろうか…?』 そうした動揺のあと、その”生じてしまった出来事”は、映像として眼の前に…

七夕の次の日に。

8日の午前中、久しぶりに『相模集』の七夕の歌を眺めていた。(このところ蜂窩織炎と蕁麻疹をくり返し、夜になると服薬して床に就くのが楽しみ…といった情けない暮らしが続いている。昨夜も疲れて、七夕の空…新暦の、ではあるけれど…を見上げることなく寝てし…

小さな国に励まされる。

今日眼にした報道のなかで、リトアニアの首相が発した言葉に興味を感じた。 そのロイターの記事には、「ロシアの飛び地、カリーニングラードへの貨物列車による輸送をリトアニアが禁止したこと」に対し、プーチン大統領の最側近が「リトアニア国民が痛みを感…

雨上がりが好き。

昔、『雨が好き』というタイトルの映画があった。観ることはなかったけれど、そのタイトルは記憶に残った。 確かに、昔から「晴れが好き」というより『雨が好きなのかも?』と思うことが多かった。 でもちょっと違う。たぶん、「雨上がりが好き」なのかもし…

梅雨の一日。

今日から数日、家事のルーティンからしばし解放される…少しだけホッとする一日が始まった。 午後になって、ベッドに横になってみる…蜂窩織炎の中心部に小さなしこりを残す左腕をうらめしく眺めながら。 ハッと目が覚めた。いつのまにか、すっかり眠り込んで…

モノクロの美しさ。

先日から、『楽に寄す』の旋律が、くりかえし頭のなかに流れるようになった。(とあるTVドラマの最後のシーンで、その歌曲が流れてからだった。そのソプラノの古風な歌唱は、私のくすんだ心を洗い流すように、台所や街の歩道で、ふと再生されるようになった…

彼女は歌人。

先日、思いもかけない美しい本が届いた。短歌を詠む人からの献本だった。 彼女はとうとうこのように美しい歌集を編んだのだ…。湿疹と蕁麻疹と蜂窩織炎で傷んだ手で、おそるおそる初々しいページを開く。 まっさきに「あとがき」を読み、「著者略歴」へと移っ…

初夏の山道で②

久しぶりの山歩きの1日目は「様似山道」という古道を辿った。瀬を渉り、登っては下り、ひたすら歩いた。カメラの出番がほとんどないまま、歩き通した。天気は下り坂でゴール前に雨が降り出した。 2日目はアポイ岳に登った。天気は回復し、日射しが戻ってきた…

初夏の山道で①

5月の末、久しぶりに山歩きに出かけた。林の中の木洩れ日。尾根道を渡る風。ともかく嬉しかった。張り切って登った。ただ、低山とはいえ、3日続けての早朝からの山歩きは、思わぬ不調をもたらした。 2日目・3日目の登頂後、両掌に激しい蕁麻疹が出た。強烈な…

”今日よりは 顧みなくて america の 醜の御楯と 出で立つわれは”

今朝もベランダには初夏の陽ざしがあった。ふだん通りの時間が流れているのに、そこに漠然とした不安も潜んでいる。 今朝の朝日新聞のTOP記事…23日に行われた日米首脳会談について…にも、そんな漠とした不安の種があった。 ーーーーーーーーーーーーーーーー…

待っていたのは、湖のような海。

20日、曇り空に誘われて海に向かった。 4月からくり返してきた蕁麻疹も、処方薬のおかげでようやく鎮火しはじめた。そんな”病み上がりの肌”には、ピーカンの空より、さりげない薄曇りの空が付き合いやすい。 久しぶりに訪ねた海は、琵琶湖のように控えめで大…

観ないとわからない何か…。

つい先延ばしにして5月も半ば…18日、ようやく「メトロポリタン美術館展」を観ることができた。 新国立美術館の予約時間の前に、近くのサントリー美術館まで歩いてみた。 大きなビルの奥まったところにサントリー美術館はあった(思えば、移転前も移転後も、…

辺野古の海の輝く虹を見るまで。

沖縄が日本に返還される…そうした報道に接した時、私はまだ20歳で、沖縄は遠い南の島の一つだった。そして沖縄について何も知らないままに、”日本にとって明るい大きなニュース”として受けとめたように思う。 昨日の朝日新聞朝刊の読者投稿欄には、その後の…

Tさんに。

私が日々立ち寄る人魚姫の公園には、今、薔薇の香りが満ちています。 そして今日、Tさんに報告したいことがあります。 かつて共に携わった整理作業のことなのです。 道半ばで立ち消えになってしまっていたあの作業については、もう動き始めることは無いのだ…

光と影の季節

ベランダの小さなスミレたちは勢いを失い、緑の葉が生い茂るばかりになった。 初夏の光を避け、家の中でとりとめのない時間を過ごす日々。 午後になり、陽ざしが少しだけやわらいでくる。ふと、『Both Sides Now』の旋律が思い浮かんだ。初めて、白鳥さんが…

Tさん、貴方にもう一度会いたかった。

これまで、”enonaiehon”のなかで、二人の「Tさん」への想いを記したことがあった。 最初に記した「Tさん」は、亡くなってから四半世紀近くの年月が経った。友人の夫であった「Tさん」には一度会っただけだった。だから、「Tさん」への献花式に並んだ人々…

ベランダの白いスミレたち

温かくなって、ベランダのスミレたちが次から次へと咲きはじめた。顔を近づけると、ほのかに甘い匂いがする。 なんていい匂いなの? なんて小さいの? 白く小さな花たちを眺めていると、気持ちがやわらいでゆく。 その一方で、幼い葉やうつむいた花の首筋に…

メモ:相模国府域内:飛雲文軒平瓦・単弁六葉蓮華文軒丸瓦 出土地点

2月26日の現地見学会、その後、4月の速報展で眼にした”六ノ域遺跡第20地点出土の珠文縁飛雲文軒平瓦”について調べるなかで、相模国府域内の「飛雲文軒平瓦」と「単弁六葉蓮華文軒丸瓦」の出土について、メモをまとめた。 ~疑問点~・両者はなぜ国府中枢域で…

発掘速報展:六ノ域遺跡第20地点

先月3月20日、平塚市博物館春季特別展『掘り起こされた平塚Ⅳ-姿をあらわす遺跡たち-』に出かけ、昨日は再び、その会場に足を運んだ。(考古分野として実に久しぶりの特別展は、これまでにない新鮮な見せ方で展開していた。おかげで、干からびて蜘蛛の巣が…

平和な日常が奪われたその日から。

あの日から11年という時間が過ぎた。 9日・10日・11日と、朝刊の『東日本大震災 11年 いま伝えたい「千人の声」』を読んだ。岩手・宮城・福島の被災者の方々の、一人ひとりの今の胸の内が、淡々と短く語られていた。11年前の被災の延長線上にコロナ禍が重な…

六ノ域遺跡第20地点

六ノ域遺跡第20地点の現場(西側から):右手(現場の南辺)で説明する方はSI20の遺構上に立っている。1辺10m余の巨大な竪穴住居址であるという。浴槽ほどの大きさの柱穴から建ちあがる柱とそれらが支える上屋の構造がどのようなものになるのか、想像もつ…

無責任男は軽々と発言する。

今朝2月24日の朝日新聞の記事見出し…「トランプ氏 ”独立"承認評価」「プーチン、なんて賢いんだ」。 その記事(ワシントン=大島隆)から一部抜粋: _______________________________________ 「「天才だ」…「抜け目…

修善寺~天城峠②

【天城峠に向かう道で】 「左ハ やまみち 右ハ 下田海道」の道しるべ(「炭焼き市兵衛」の墓標横面):道標を見かけると、ついしげしげと見てしまう。 朽ちてゆく「木曽森林鉄道」の車両: 朽ちてゆく名札:なぜここに展示されているのだろう。 ケヤキは「天…

修善寺~天城峠①

修善寺に出かけてから半月が過ぎた。私を浮かべた流れが滝壺に向かってスルスルと流れ落ちてゆく感じをぼんやりと受けとめている。 その抗いがたい時間の流れのなかで、たまたま目にしたものを写真に切り取る。繰り返すことはできないその一瞬を採取し定着さ…

『閑谷集』と12c後半の伊豆山、そして『走湯山縁起』と10cの伊豆山

修善寺の旅の最後はみぞれ模様の寒い日となった。おかげで修禅寺の宝物館をゆっくり見学することができた。 写真で展示されている大日如来坐像(実慶作)を見て「かんなみ仏の里美術館」の仄暗い展示室を思い出したり、北条政子の直筆とされる奥書を眺めて、…

「修善寺の三人」を訪ねる

2月に入って、家族の誕生日祝いを兼ねて修善寺に出かけた。首都圏のコロナ感染が収まらない中、いささか肩身を狭くして電車に乗った。 さはさりながら、中伊豆に入ると、そこは桃源郷のごとく、のどかな別世界なのだった。じきにコロナ禍の現実は遠ざかって…

また消えてゆく。

昭和20年代に生まれた私にとって、この21世紀の時間は、のっぺらと希薄でつかみどころがない。私が経験した昭和の約40年間…恥多く幼く苦く切なく色濃く描き込まれている私の昭和の約40年間に比べ、今、私の周辺から滑り落ちる時間の感触は、”水道水”のように…

立春の妄想:古今和歌集~在原業平~藤原高子~善祐~走湯山

立春というのに光薄い空。 この日が来ると、古今和歌集の巻頭歌を思い起こすことがある。 今朝も、その在原元方の歌… 「年の内に 春は来にけり ひととせを 去年とや言はむ 今年とや言はむ」 …を思い出すなかで、同じ古今和歌集の藤原高子(二条后)の歌(巻…

新聞記事に出会うこと。

毎日、テーブル上の新聞を開いても、じっくりと眼を通す記事は少ない。ほとんどタイトルをふんふんと追いかけるだけの面(スポーツや金融情報の頁など)もある。その一方で、”不”読書家の私にとって気重になるほどのボリュームで迫ってくる土曜日の「読書面…