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私の第三十四夜をつづります。

修善寺~天城峠②

 

天城峠に向かう道で】

「左ハ やまみち 右ハ 下田海道」の道しるべ
(「炭焼き市兵衛」の墓標横面)
道標を見かけると、ついしげしげと見てしまう。

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朽ちてゆく「木曽森林鉄道」の車両:    朽ちてゆく名札:
なぜここに展示されているのだろう。    ケヤキは「天城七木(九木))」の一つ。

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山道の紅一点              山道のミツマタ

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赤い年輪:                白い岩肌:    
伐り出された木材が見上げるほどうず高く  山道の崖に、苔?に覆われた岩が真っ白
長方形に積まれ、それぞれの断面が細胞の  な顔を覗かせていた。平塚の山道の崖で
ようにリズミカルに並ぶ。         は見られない白さだった。      

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数十年ぶりの天城隧道:          トンネル内のツララ:
これほど長いトンネルだったとは。          

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今回、古希という年齢で…個人的には驚くべき年齢で…修善寺温泉で過ごし、若い頃には全く感じ取ることのなかった”情緒的な何か”を、自然に吸収・反芻しているような感触があった。

まず、行きの沿線には母方の祖父が晩年に暮らしていた湯河原。かつてのトンネルのアーチ型の窓から見え隠れする明るい海の映像とともに、ソフト帽をかぶった祖父の立ち姿を思い出さないではいられない。
また、三島を通る時には、その晩年の祖父とつながる女性のことを思い出すのだ。端正な着物姿でお正月に平塚を訪れるその人は、私に「最高額のお年玉!」をもたらす人、という以上に、子供の私には”まれびと”そのものだった。
その三島の女性についてや、祖父の湯河原での生業については、大人になってからようやく納得したのだった。

そして修善寺には、新婚の母が過ごした…と昔語りに聞かされていた…宿があった。
その興味もあって、若い頃の私はその宿を目当てに修善寺に出かけたこともあったのだった。

こんなふうに、私と家族の過去の時間の切れ端を脈絡なく思い出してしまう場所…そんな場所で古希の時間を過ごした。若い頃の思い出には影も形もなかった”情緒的な修善寺”を味わえたこと…これも年の功なのかもしれない。