8日午後のネット上の速報、そして翌日の朝刊1面に広がった「安倍元首相 撃たれ死亡」の文字を目にしてから、半月ほどの時間が流れた。
『そんなことが本当に起きるものだろうか…?』
そうした動揺のあと、その”生じてしまった出来事”は、映像として眼の前に浮遊するだけで、なかなか”現実”化していかなかった。
ただ、その”出来事”によって、安倍元首相が人生をあっけなく断ち切られたことに、言いようのない痛ましさを感じた。
そして、自分の中の安倍長期政権への批判的な思いも、突然断ち切られたような気がした。
不完全燃焼の空虚な2週間だった。
友人にメールをしてみたり。
『徒然草』を取り出して第三十八段や第百三十七段などを拾い読んでみたり。
街なかで乳母車の中の赤ちゃんの顔を見て励まされたり。
いまだに動揺が続いているのかもしれない。
自分の空虚の後始末はどうなるだろう。
~この2週間の携帯写真から~
「禁止」の不在 気弱そうな黒い鳩
秋の雲と夏の雲
このあと、”自分の空虚の後始末”の一つとして、「首相官邸ホームページ」に、閣議決定された安倍元首相の国葬について、自分の意見を送った。今、私にできるのはこのくらいか…。