enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

また消えてゆく。

 

 

昭和20年代に生まれた私にとって、この21世紀の時間は、のっぺらと希薄でつかみどころがない。
私が経験した昭和の約40年間…恥多く幼く苦く切なく色濃く描き込まれている私の昭和の約40年間に比べ、今、私の周辺から滑り落ちる時間の感触は、”水道水”のように味気ない。それらは、水彩画ほどの画像すら構成しない。

今朝の新聞に「岩波ホール」の閉館を告げる記事が載っていた。
神保町の街角に在るはずのもの、映画館というハコモノ以上の存在の「岩波ホール」。
そんなものもいつか消えてゆくのか…これが”時代”というものなのだろう。時代は産み出したものをいつの日か押し流して跡形なく更地にしてゆくのだ。

1974年から1991年までの時期、神保町の職場に通った私の唯一の「岩波ホール」の思い出は『八月の鯨』(1989年)だ。

懐かしい…今思えば、時代の大きな節目の時期に観た映画なのだった。
確か、オリビ【エ】・デ・ハビランドの名にも惹かれて観たのだと思う。
(私の母は昔語りのなかで良く「お母さんね、若い頃は〈眼千金〉と言われてね…オリビ【エ】・デ・ハビランドに似てると言われたりして…」と繰り返したのだった。馴染み深かったその名は、実は「オリヴィ【ア】・デ・ハヴィランド」らしいのだけれど。)

しかし実際に映画を観るうちに心惹かれていったのはリリアン・ギッシュのほうだった
オリビ【エ】・デ・ハビランドについては、『何がジェーンに起こったか』の際立った印象に及ばなかったのは致し方ないことだった)。

 

【追記:ここで、私の衰えた脳味噌は酷い記憶変換を犯していた。
母が語ったのは確かに「オリビ【エ】・デ・ハビランド」だった。しかし、私の衰えた脳味噌は、『八月の鯨』に出演していた「ベティ・デイビス」を思い浮かべた時、なぜかその人を、かつて母が語っていた「オリビ【エ】・デ・ハビランド」の像と変換してしまったのだった。
この酷い記憶変換という事実は、今の21世紀が私にとって希薄なことの理由が、実は、私の脳味噌そのものが希薄になってしまったからなのだ、と教えてくれる。
何とがっかりなことだろう…。それを知らずに書いていた次の文章が、今となっては、何としらじらしいことだろう…。
なぜ、私は『八月の鯨』で母のことを思い出したりしたのか…? 私は『八月の鯨』を観ていた時、自分の母の姿と映画の老女の姿とを重ね合わせていたからだろうか…。】

 

そして何よりも、メイン州の風光が長く心に留まった。

また、『八月の鯨』を観た頃の私は、自分が2年後に仕事を辞めることなど、知るはずもなかった。
私に『八月の鯨』を見せてくれた「岩波ホール」は閉館する。
昭和という時代が次々と閉館してゆく。それが時代なので、とどまることはないのだ。

 

八月の鯨』のチケット(岩波ホール 1989年)
【追記:このチケットには「ベティ・ディヴィス」と表記されている。「オリビ【エ】・デ・ハビランド」の名など、もちろん無い…。】

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