enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

「修善寺の三人」を訪ねる

 

2月に入って、家族の誕生日祝いを兼ねて修善寺に出かけた。
首都圏のコロナ感染が収まらない中、いささか肩身を狭くして電車に乗った。

さはさりながら、中伊豆に入ると、そこは桃源郷のごとく、のどかな別世界なのだった。じきにコロナ禍の現実は遠ざかっていった。

修善寺は、これまで友人たちと何度か訪れている。それでも、今回のようにゆっくり過ごしたのは初めてだった。
桂川沿いに、嵐山から梅林へ、赤蛙公園から修禅寺近くへと、東に西にのんびり巡り歩いた。

まだ若い頃にはごく鄙びた印象だった修善寺…今や、整備された観光地として様変わりしている。また、各所に幟が立ち、そこが歴史上、由緒ある場所なのだと教えてくれる。たまたま、今年のNHK大河ドラマの歴史舞台と重なることもあって、私たちも「源 範頼」・「源 頼家」・「安達 盛長」の墓所や「北条  政子」ゆかりの指月殿を訪ね周ってみた。

はたして、頼家の墓所は、今回もどこか陰々滅々とした印象なのだった。また指月殿は21世紀の今も、修善寺の地に息づき、信仰の灯火を静かに伝えていると感じた(そのことには、いかめしくも穏やかな表情の釈迦如来坐像の大きな存在が欠かせないように思った)。
また、修禅寺宝物殿で政子の直筆とされる墨文字を眺めて、篤い信仰心が込められた…というより、むしろ公的な実務に長けた人の文字という印象を受けた(光明皇后が筆写したとされる『楽毅論』のおおらかで豊かな筆致と異なり、それは、ごく慎ましやかな痩せた筆致だった)。

 

 

f:id:vgeruda:20220215150111j:plain源 範頼の墓所

 

f:id:vgeruda:20220215150147j:plain源 頼家の墓所

 

f:id:vgeruda:20220215150159j:plain指月殿:そのお顔を階段下から拝しつつ、その眼差しを視界におさめつつ、階段を昇ってゆく。その時間と距離感のありがたさ…。

 

f:id:vgeruda:20220215150215j:plain

f:id:vgeruda:20220215150227j:plain

釈迦如来坐像:
一瞬、黒石寺の薬師如来坐像のお顔と似て…と思ったけれども、実は唇も瞼も目元もずっと穏やかな造形なのだった。

 

f:id:vgeruda:20220215150238j:plain安達盛長墓所