enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

Tさん、貴方にもう一度会いたかった。

 

これまで、”enonaiehon”のなかで、二人の「Tさん」への想いを記したことがあった。

最初に記した「Tさん」は、亡くなってから四半世紀近くの年月が経った。友人の夫であった「Tさん」には一度会っただけだった。だから、「Tさん」への献花式に並んだ人々のなかで、私は「Tさん」について最も何も知らない人に違いなかった。それなのに教会の中で涙があふれ続けた。思いがけず突然の喪失に直面した友人の痛みが、そのまま私に伝わったからかもしれない。

2022年4月…”enonaiehon”のなかに、私にとって三人目となる「Tさん」への想いを記すことになった。

先日、その「Tさん」へ出していた葉書の返信が、その息子さんから届いた。そして、それは「Tさん」にはもう誰も会えないことを知らせるものだった。

「Tさん」…貴方が描いていた繊細で硬質な絵の世界は、貴方のどのような世界を表したものだったのだろう。今になってそんなことを思っている。私はやはり、貴方のことを最も何も知らない人でしかなかった。

貴方にもう一度会いたかった。会って、貴方の声を聴きたかった。そう思うのが遅すぎた。今となっては、そう記すことしかできない。