enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

”渚”

 10月2日。
 机の上には、数日の間、読めないままに溜まっていった新聞の束。
 ちょっと前まで未知だった時間の堆積(?)。
 未知の世界からやってきて(?)、すでに過去の世界のものとなった(?)時間。
 そのほんの一部の出来事が、わずかな記事のなかにおさまっている。
 不思議な気がする。
 そして、出来事たちは解釈され、過去の世界に仕分けされても、出来事の真実とエネルギーは、いまだ現在進行形の世界をさまよい続けている。
 不思議な気がする。
 
 やっと9月28日の朝刊までたどりついた。
 一瞬、そうだ、まだ読んでいなかった…とときめく。
 楽しみにしている石牟礼道子氏の「魂の秘境から」の文章に行き当たったのだ。
 
 するりと滑り込むことができる世界。小さくて、それでいて普遍的な世界。
 言葉によって、するりと扉が開いて、眼の前の世界が広がってゆくような感覚はどこからやってくるのだろう。
 異なる次元を通過する意識。
 異なる次元に滑り込ませるために、意識が正確に言葉に変換されてゆく。
 そんな術を、人間のほかに、誰も持っていない。そして、正確な術とは、するりとしているらしい。
 不思議な気がする。

石牟礼道子「魂の秘境から」 4 原初の渚~(朝日新聞 2017年9月28日)より抜粋・引用
「…横になってまぶたがだんだん重くなると、まばたきの立てるさざ波が、額にある渚まで打ち寄せてくる。生え際のあたりで波に砂粒が踊り、さりさりと音をたてる。遠ざかる意識のなかで、わたしはどこか見覚えのある海辺にいるのである。幼いころからビナ(貝)を捕りに通った不知火海のようでもあり、もっと奥深い懐かしさに胸が満たされるようでもある。…」