enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

”Foyle's War ”を見る。

 

巣ごもり暮らしが続き、5月となった。
この数日、ネットで公開中の『刑事フォイル』というドラマに魅入られ、うつつを抜かしている。

非日常的な2020年の日本から、さらに非日常的な1940年代のイギリス・ヘイスティングスへと、PC画面の扉から入り込んで90分余り、まさに時を忘れて過ごすようになった。
(ドラマに没入して見終わった瞬間、自分が今、朝・昼・晩のどの時間帯に存在しているのか分からず、戸惑う。あたりを見回し、ようやく『そうだった…』と納得する。)

このドラマシリーズに、それほど引き込まれるのはなぜだろう?

1940年代のヘイスティングスの人々の暮らしへの関心。
戦時下の人々の欲望と人間関係が生み出す事件の数々についての好奇心。
フォイルという警視正が体現する職業的な倫理観、公正さへの敬意。
その鋭敏な思考力、抑制された表情に滲む、繊細な人間性への憧れ。
彼と係わる周辺の人々の振る舞い、考え方、揺れ動く人格への共感や反感。
そして、第二次世界大戦下の欧米諸国の緊迫した情勢、複雑な歴史・社会に根差す対立構造、階級のそれぞれに根差す無知と偏見、揺るぎない信念や道徳観に根差す憎悪感情…それらに対する恐怖や違和感。

ドラマは私の脳味噌溜まりをかきまわしつつ、毎回鮮やかに展開してゆくのだった。

2020年5月の日本。
私は、1940年代のイギリスを舞台とする刑事ドラマという、何重にも非日常的な世界の片隅で息を潜め、眼を凝らし、緻密な作りごとの一部始終を追いかけてゆく。そして、全てを見終わり、再び、”現実のような世界”に引き戻されて茫然となる。

果たして、いつの日か、この巣ごもり暮らしから抜け出す時が来たとして、私はいったい、どのような現実世界に戻ることができるのだろう…そんな不安もある5月なのだった。

 

≪6日に視聴した『刑事フォイル2』(第4話「隠れ家」)で印象に残ったシーンがあった。それは、ロンドン警視庁のコリアー警部がフォイルの部下ミルナー巡査部長と並んで歩きながら語りかける場面。
話題はドイツ軍による毎晩のようなロンドン空襲の被害のひどさに及ぶ。
「…次はどこが狙われるか分かったもんじゃない。だが不思議なことがある。何があっても翌日には皆仕事に出かける。瓦礫をかき分けて。…」
私はその時、ロンドンの労働者が毎朝黙々と職場に向かうようすを思い浮かべた。リアルな形でストンと腑に落ちた。同じ風景が日本でも見られたし、今も見られるのだと思った。
『刑事フォイル』はシリーズが進むにつれ、しだいに作りこんだストーリーへと変化しているように思う。それでも、こうした細部の何気ない会話や人物の微妙な表情を通して、その人物像や犯罪が抱える時代背景をリアルにのぞかせる瞬間が随所に散りばめられている。そのことで、作品世界の虚実のバランスが保たれているように感じる。
まさに、原題は”Foyle's War ”なのだ。
非日常と日常が並行する世界に生きる仮構上の人々を、今の私は不思議なほど身近に感じる。
巣ごもり暮らしのなかで、今や、生きているという確かな実体感覚を失いつつある私に代わって、海外ドラマのなかの登場人物たちが、リアルな時間を生きてくれているようにさえ感じるとは。
ふわふわとたよりなく
浮遊する私の意識をしばし覚醒させてくれるドラマ…大丈夫だろうか、このまま見続けて。≫

 

f:id:vgeruda:20200506201952j:plain5月5日の海:黒く、重そうな流木。

 

f:id:vgeruda:20200506202014j:plain波打ち際のシギ(キョウジョシギ?)の群れ:美しい啼き声とともに降り立った。その姿を明らかにできるほどには近寄れなかった。

 

f:id:vgeruda:20200506202040j:plain引き波:鉛色の空のわずかな光を反射して、銀の砂を流したような輝きを発する。