enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

4月27日の”黄色い花”と”青い花”

 木曜の朝刊には楽しみにしているコラムがある。
 今朝はそのコラムと同じ面で、別の新しい連載「魂の秘境から」(石牟礼道子)が始まっていた。

 彼女が記す水俣の人の言語には強い魔力が備わっている。
 あっという間に、その世界に引き摺り込まれてしまう。
 (そして、水俣の人の言語が重く深く濃厚であることの一方で、私という存在はとても軽々しいものだと分かってしまうのだけれど。)
  
 また、彼女が記す水俣の人の言語は、”神託”とはこういう語り方なのではないか、などと想像させる。
 (そして、その”神託”の語り方のイメージとは、巫女が神殿の上を這うようにしてにじり寄りながら搾り出す、低く野太い声だったりするのだけれど。)

 今朝の「1 石の神様」のなかでの一文。

…道の石積みに沿うようにして野の花が咲き、石蕗の黄色い花頸に暮れかけた陽の色が残っていた。「花の道のできやした。さあ、道に足ば下ろしてくだはりませ」…
 
 文のなかに差し込まれた写真(「明神岬のアコウ樹」)にも異国の物語絵のような魔力が感じられた。
 言語といい、植物といい、その紙面には風土の魔力が息づいているかのようだった。
 

青い小さな花(4月27日):小石混じりの固い地面から細い頸を伸ばしていた。「石の中でも花の咲くとぞ」(?)。
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