enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

いつもコメントをありがとうございます。

「enonaiehon」へのコメントをいつもありがたく拝読しています。
今回も「兵戈無用」の言葉を教えていただいたことで、憲法前文、憲法9条の”戦争放棄”、”戦力及び交戦権の否認”という在り方について、自分がどう受けとめてきたのか、再びふり返ることとなりました。
 
 私にとって憲法9条はずっと、加藤典洋氏のいう「宗教的・思想的な絶対平和主義」として存在し続けてきたように思います。しかし、加藤典洋氏は『9条入門』のなかで、それを「からっぽな理想の姿」としてとらえる視点を提示している…そのように私は理解しました(見当違いな理解かもしれませんが)。
 
 そして現時点の私は、”からっぽ”なのは、憲法9条なのではなく、これまでの私が”からっぽ”で生きてきただけなのだ…と、つまり、モヤモヤとした霧のなかで生きてきた“からっぽ”な自分の姿を知った…そんなふうに感じています。
 
 同時に、今までの私があまりに”からっぽ”なままに生きてきたとしても、憲法9条の存在を”からっぽな理想の姿”と括ってしまうわけにはいかない…そう思う自分もいるのです。
 
 加藤典洋氏から、あなたの理想は”からっぽ”の姿なのでは? と問われたように感じた自分。それに対し、これからどう答えていくのか? 果たして、私にその答えが探し出せるのか? 

 このように、このたびのコメントでもご指摘があったように、老い先は短くなったとはいえ、まだまだ”探しものばかり”の私です。
 うだうだと長くなってしまいましたが、いただいたコメントに改めてお礼申し上げる次第です。