◆『閑谷集』の作者が移り住んだ「おほはた」はどのようなところか◆
*「まののかやはら」*
139と141の歌に使われている「まののかやはら」という語は、「おほはた」での作者の居場所をたとえたものらしい。仮に漢字に変換すれば“馬野の萱原”となる(→【補記】)。『万葉集』の歌「みちのくの まののかやはら…」を踏まえて使われた歌語なのだろうか。
*「まののはまぢ」*
「まののかやはら」と似た「まののはまぢ」の語が、186と247の歌に出てくる。
「行路秋花
186 夕ぐれに かからじものを いと薄 なみよるまのの はまぢならずは 」
「むかし みやこにて ともだちなりし人、すぎにし としのあき、修行しはべりける
ついでに たちよりて、草花露深 といふこころをよめと申して とほりはべりければ
247 露むすぶ まののはまぢの いとすすき これやいりえの なみのよるらん 」
「まののかやはら」が陸奥国の放牧地のような草原をイメージさせるのに対し、186・247の「まののはまぢ」のイメージとして、波寄せる浜辺伝いの草深い道が浮かび上がる。
【補記①】
その後、歌語としての「まののかやはら」を調べ直してみて、「真野の入江」という歌語も使われることが分かった。なので、漢字で当てれば「真野の萱原」となり、247の歌の「いりえの なみやよるらん」も「真野の入江」を踏まえたものになりそうだ。「まの」→「馬野」?、「まの」→富士~愛鷹山麓から駿河湾岸へと広がる地域名?との私の推定は成り立ちそうにない。
【補記②】
「 1631 しほみたぬ まのの 浜路の さゆりばも 入りぬる磯は 五月雨の比 」