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私の第三十四夜をつづります。

『閑谷集』のなかの「伊豆山」(4)

◆『閑谷集』の作者が移り住んだ「おほはた」はどのようなところか◆
 
*「まののかやはら」*
139141の歌に使われている「まののかやはら」という語は、「おほはた」での作者の居場所をたとえたものらしい。仮に漢字に変換すれば“馬野の萱原”となる(→【補記】)。『万葉集』の歌「みちのくの まののかやはら…」を踏まえて使われた歌語なのだろうか。
 
*「まののはまぢ」*
 「まののかやはら」と似た「まののはまぢ」の語が、186247の歌に出てくる。

 「行路秋花 
186  夕ぐれに かからじものを いと薄 なみよるまのの はまぢならずは 」     

 「むかし みやこにて ともだちなりし人、すぎにし としのあき、修行しはべりける
  ついでに たちよりて、草花露深 といふこころをよめと申して とほりはべりければ
247  露むすぶ まののはまぢの いとすすき これやいりえの なみのよるらん 」

「まののかやはら」が陸奥国の放牧地のような草原をイメージさせるのに対し、186247の「まののはまぢ」のイメージとして、波寄せる浜辺伝いの草深い道が浮かび上がる。
 「まの」は、放牧地のような景観をたとえる歌語ではなく、富士~愛鷹山麓から駿河湾岸までの、かなり広い地域の呼称(固有地名)なのだろうか。
【補記①】
その後、歌語としての「まののかやはら」を調べ直してみて、「真野の入江」という歌語も使われることが分かった。なので、漢字で当てれば「真野の萱原」となり、247の歌の「いりえの なみやよるらん」も「真野の入江」を踏まえたものになりそうだ。「まの」→「馬野」?、「まの」→富士~愛鷹山麓から駿河湾岸へと広がる地域名?との私の推定は成り立ちそうにない。
【補記②】
 「まののはまぢ」についても、『正治初度百首』(正治二年百首和歌 下 詠百首和歌 夏)に沙弥寂蓮の次の歌があることを知った。
「 1631  しほみたぬ まのの 浜路の さゆりばも 入りぬる磯は 五月雨の比 」
正治2(1200)年に詠進・披講の『正治初度百首』や、そのなかの寂蓮の歌が、当時どの程度、世に知られたものなのかは分からない。『閑谷集』作者が建仁2(1202)年以降に詠んだ186・247の歌の「まののはまぢ」が、寂蓮の1631の歌を踏まえてのものだったのかどうかも分からない。現時点で、私が探すことができた「まののはまぢ」はこの3例だけだが、仏道・歌道に生きる人が用いた歌語であることが興味深い。