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私の第三十四夜をつづります。

“三宮相模君”③

 1116年秋の雲居寺では、「雲居寺結縁経後宴歌合」(8月)をはさんで、前後の7月と9月にも一連の歌合が開かれていたことを知った。7月の「雲居寺歌合」で、三宮相模君は次の4351の歌を詠んでいる。
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11167月〕 【『新編国歌大観』:「夫木和歌抄」から】
~永久四年七月 雲居寺歌合、薄~   三宮相模
4351 たえだえに しまわのをばな まねくめり あさみつしほに 見えかくれして     

11168月〕 【『新編国歌大観』:「雲居寺結縁経後宴歌合」から】
~五番 露 左勝~   三宮相模君
9 ゆふされば をばな おしなみ ふくかぜに たまぬきみだる のべのしらつゆ
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三宮相模君は、7月の「雲居寺歌合」で“薄”の題のもと、4351の歌を詠んだ。そして8月の「雲居寺結縁経後宴歌合」では“五番 露”の題のもと、左方として9の歌を詠み、右方の10の歌(皇后宮小進兼昌)に対し、“勝”の判を得たのだった。
 
まず感じたのは、二つの歌合で「をばな」が繰り返し歌われていることだ。7月は“薄”の歌題から当然のこととはいえ、8月の“露”の歌にも「をばな」が詠まれていることに、三宮相模君の思い入れのようなものを感じた。
そして、この9の歌の視線が歌題の“露”へと絞り込まれてゆくのに対し、4351の歌では、水辺の「をばな」は遠く広角的にとらえられているように感じる。刻々と満ち潮にひたされてゆく朝の水辺。「をばな」の姿は、満ち潮のたゆたいとともに、しだいに遠ざかってゆくように見える(私には、43519の歌で歌われた「をばな」は、ともに擬人的なイメージとして浮かびあがった)。
 
こうして、三宮相模君の歌について、わずかに二首を知ったばかりだが、この二首をもとに、三宮相模君の歌の姿を、曖昧ながら思い描くことができた。
それは、個人的な強い思い入れや歌の技巧を引き算した叙景歌の底辺に、澄んだ心象が沈んでいるような…。作者の心象が濾過され、微細にとけこんだ水彩画のような…。当然のことなのだけれど、歌人相模とは別の歌の世界に立つ歌人のように感じる。

【追記:4351の歌の「しまわのをばな」の表すところが不明のため、現時点では“島を取り巻くように生い茂る尾花”と捉え、潟のような風景を思い描いている。また、水辺に広がる「をぎ」を「をばな」と見て歌っているのだろうか、という疑問も残る。当時、「薄」は、「すすき」・「をばな」に加え、「をぎ」なども含んだ詞だったのだろうか。 
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 【補記】三宮相模の歌と歌人相模の歌を比べることに、何の意味もない…のだけれど、歌人相模の歌のなかに、「すすき」や「あさみつしほ」を詠んだものがあるだろうかと探してみた。次の歌があった。(「をばな」の歌語を含む歌はまだ見つけていない。)
 
1021年~1025年頃?〕 【『相模集全釈』:「流布本相模集」から】
~早秋~  
254 しのすすき まだほに出でぬ あきなれど なびくけしきの ことにもあるかな

~初秋~  (走湯権現僧?) 
355 我をのみ 頼むときけば しのすすき 今はほに出でて 嘆くべきかな

~七月~
459 ほに出でて 風のなびかば しのすすき そよや下葉の 露はむすばじ
 
1030年頃?〕 【『相模集全釈』:「異本相模集」から】
~あさましく こちめきてふく秋風や と見るほどに、なびくすすきの つねならず。ながめやるかたにも おもむきたるに~
11 花すすき ただそのかたを 招くとも 風のたよりに ほのめかさばや

1049年〕 【『新編国歌大観』:『後拾遺和歌集』から】
~永承四年 内裏歌合に、千鳥をよみ侍りける~
389 難波がた あさみつしほに 立つ千鳥 浦伝ひする 声聞こゆなり