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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪⑤:旅半ばの”もみぢ”の歌

      
     良因といふ寺にて、ふるの社のもみぢを見る
107 よしみねの 寺にきてこそ ちはやぶる ふるの社の もみぢをば見れ

 歌人相模の初瀬参詣7首(104~110)では、最初の104の歌には旅への祈りが、次の105の歌には旅のわびしさが、3首目の106の歌には歌人としての視線が、そして旅半ばとなる107の歌に至って、ようやく神無月の旅らしい感動が”もみぢ”を通して歌われた…そのように感じられる。
そして、その107の歌で、ことさらに「よしみねの 寺にきてこそ…もみぢをば見れ」と強調されていることをずっと不思議に感じ続けた。もし歌人相模が「龍田道」ルートを採ったのであれば、なぜ「たつたがは」や「たつたのやま」、あるいは「みむろのやま」の”もみぢ”ではなかったのかと。やはり、歌人相模は「龍田道」ルートを採らず、その名高い紅葉を眼にすることはなかったのかと。

その一方で、歌人相模は、自身の旅の記憶、自身の眼がとらえた土地の印象を、誰も歌ったことのない歌として詠もうとしたのではないかという、うがった思いも浮かんだ。
それは、「よしみねの寺」(107)に限らず、初瀬参詣の旅で詠まれた「あとむらの里」(105)、「楢のやしろ」(108)、「鍋倉山」(109)、「たかふち(竹淵)」(110)のいずれも、歌の世界のイメージを同時代の他者と共有できる歌材ではないように感じたからだ。

    神な月 初瀬に詣づるに、稲荷の しものやしろにて みてぐら奉る
104 ことさらに 祈りをらむ 稲荷山 けふは絶えせぬ 杉と見るらむ
 
    あとむら といふ所に宿りて、鹿鳴く
105 鹿のねに 草のいほりも 露けくて 枕ながるる あとむらの里
 
    すがたの池にて
106 行く人の すがたの池の 影見れば 浅きぞ そこの しるしなりける
 
    良因といふ寺にて、ふるの社のもみぢを見る
107 よしみねの 寺にきてこそ ちはやぶる ふるの社の もみぢをば見れ
 
    楢の鳥居の前なる木どもに かけたるもの おほかり
108 なにならむ 楢のやしろの榊には ゆふとはみえぬ ものぞおほかる
 
    まで着きて、坊の前に谷ふかく、もみぢおほかるを、「いづくぞ」と問へば、「鍋倉山」といふ
109 春ならで いろもゆばかり こがるるは 鍋倉山の たき木なりけり
 
    竹淵(たかふち)といふ所あり
110 旅人は こぬ日ありとも たかふちの 山のきぎすは のどけからじな

とすれば、107の歌の「よしみねの 寺にきてこそ…もみぢをば見れ」は、”私は「ふるの社」の紅葉を、あえて「よしみねの寺」に足を運んで見たのだ…”という、歌人相模の個人的な旅の思い入れを歌ったものかもしれなかった。
107の歌について、『業平や能因が眼にした「龍田道」の”もみぢ”ではない紅葉。それこそを、この地(よしみねの寺)で歌ってみよう』…そのような歌人相模の旅姿を想像するのは、やはり妄想・思い入れが過ぎるだろうか。

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小さな紅葉1枚…9月16日、奈良市街で初めて眼にした紅葉。持ち帰ってから9日が経つ。少し暗く沈んだ色合いになった。天理市内の伝・良因寺跡(厳島神社)や石上神宮では、紅葉は見かけなかった。