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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き①:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

 これまで、歌人相模の初瀬参詣ルートを推定してみようと試行錯誤を繰り返してきた。
 そして、昨秋には、その一部を歩いてみた(実際の道でも試行錯誤の連続で、あらゆる道を迷いながら歩いた)。
 そして、その怪しげな探訪の雑感を何回かに分けてまとめておいた。
 
 それから一年余。今春、大阪市立美術館に出かけることになり、昨秋の探訪の続きを歩いてみたいと思った。慌てて、今回の探訪計画を立て、泥縄式で予習を始めた。
 結果、わずかながらも歌人相模の旅の足跡に係わりそうな地点を訪ねることができた。そのささやかな記録を簡単にまとめておこうと思う。(老女忘れやすく、記録成りがたし…)

 まず復習として、歌人相模の初瀬参詣連作7首を再掲。
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歌人相模 : 初瀬参詣の連作7首(『相模集全釈』から引用)

    神な月 初瀬に詣づるに、稲荷の しものやしろにて みてぐら奉る
104 ことさらに 祈りをらむ 稲荷山 けふは絶えせぬ 杉と見るらむ
 
    あとむら といふ所に宿りて、鹿鳴く
105 鹿のねに 草のいほりも 露けくて 枕ながるる あとむらの里
 
    すがたの池にて
106 行く人の すがたの池の 影見れば 浅きぞ そこの しるしなりける
 
    良因といふ寺にて、ふるの社のもみぢを見る
107 よしみねの 寺にきてこそ ちはやぶる ふるの社の もみぢをば見れ
 
    楢の鳥居の前なる木どもに かけたるもの おほかり
108 なにならむ 楢のやしろの榊には ゆふとはみえぬ ものぞおほかる
 
    まで着きて、坊の前に谷ふかく、もみぢおほかるを、「いづくぞ」と問へば、「鍋倉山」といふ
109 春ならで いろもゆばかり こがるるは 鍋倉山の たき木なりけり
 
    竹淵(たかふち)といふ所あり
110 旅人は こぬ日ありとも たかふちの 山のきぎすは のどけからじな
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 以上の7首のうち、次の6首の歌の場所は、ほぼ比定されている。
*105 安堵村(奈良県生駒郡安堵町)
*106 菅田池(奈良県天理市二階堂)
*107 良因寺跡(天理市布留町) ←厳島神社付近か
   石上神宮天理市布留町)
*108 楢神社(天理市楢町)    
*109 鍋倉山(奈良県桜井市初瀬) ←鍋倉神社付近か
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今回は、復路上の「竹渕」(たかふち。110の歌の場所)を、”大阪府八尾市竹渕”と想定し、その推定ルート(河内国摂津国の部分)の一部を歩いてみた。

次の≪地図2≫は、今回改めてまとめ直したもの(104の歌の場所〔京都市伏見区稲荷大社〕を除き、105~110の歌の場所を中心とした概略図)。
なお、この推定ルート(”龍田越え”を推定したルート)では、往路と復路のルートが一部重なることになる。
これとは別の復路ルートの可能性として、桜井から大和高田方面へ西進したのち、再び大和川の流路沿いの道筋に戻るルートも考えられるかもしれない(私自身の旅であれば、往路と同じ道を引き返すよりは、往路とは異なるルートを採りたいと思うのだけれど)。

《地図2》 【歌人相模の初瀬参詣ルート(推定)】 105~110の歌の場所の概略図
イメージ 1註:≪地図2≫の岸線・河川などのベースは、『幕末・明治 日本国勢地図 20万分の1集成』(柏書店 1983年)。長谷寺から四天王寺・淀川河口に至るまでの東西ルートの全体を掲載するために、大幅に縮小した(約30%に縮小)。大和川の旧流路の大まかなイメージとして、「竹渕」付近(長瀬川と平野川との間)で、苦し紛れに破線- - - の形で示してみた。)

次に、≪地図2≫を補足するため、以前、作成した概略図を≪地図1≫として再掲。

≪地図1≫歌人相模の初瀬参詣(連作7首)ルート】
註:≪地図1≫の作成時点で、初めて、大和川の旧流路が現在とは大きく異なることを知った。岸線・河川など、主なベースは『地図で訪ねる歴史の舞台-日本-』(帝国書院 1999年)、『地図で見る西日本の古代』(平凡社 2009年)など