enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.1.3

 元旦の午後、初雪の中を大磯まで歩いた。雪化粧した高来神社にお参りし、家族が集まる新年会に加わった。
 久しぶりの若く元気な顔ぶれから、旅の話、仕事の話を楽しく聴いた。
 私にも彼らのように元気な頃があった。世界は自分の人生そのものであり、世界は自分の人生で隙間なく満ちているように感じていた。
 今は、自分の人生が世界のごくごく一部に、個として判別しがたく限りなく小さく紛れて在ること、世界が自分より若い人々の人生に満ちていることを知っている。そして、自分は小さな一つの意識(反応)として存在し、老いつつある肉体はその意識(反応)の保存容器なのだろうと感じている。
 新年会のあと、二日、三日と頭痛が続いた。保存容器の劣化なのか、意識の気まぐれなのか。
 二日間、重い頭で家に籠ったまま過ごした。さすがに外の空気を吸いたくなる。
 外に出ると、街の空に十三夜の月がのぼっていた。わずかな買い物をして家に帰ると、頭痛はほとんど軽くなっていた。薬のおかげなのか、散歩のおかげなのか。
 郵便受けに溜まっていた年賀状や今日の新聞が、いつもの日常を取り戻してくれた。TVをつけ、チャンネルを切り替えていると、思いがけない人がそこにいた。西村悟さんだ。今まさに歌いだそうとしている。思わずTVの前で聴き入った。なめらかな歌いまわし…高音に入る時は、『大丈夫だろうか…』と息を止めた。あぁ、こんなふうに音楽をまた聴きたいと思う自分がいる。2015年はやはり元気にやるしかない。
 
十三夜の月
イメージ 1