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私の第三十四夜をつづります。

「賀陽院水閣歌合」補記①

  
「     延喜御時歌合に   よみ人知らず
  108 五月雨は 近くなるらし 淀河の 菖蒲の草も みくさ 生ひにけり 」


〇五月雨 時鳥と配合され物思いを表すことが多く、このような叙景の例は珍しい。」
              【『新古典文学大系 拾遺和歌集』(岩波書店)から引用】   
 
 11世紀前半の歌人相模より早く、五月雨の淀の景観を淡々と描いた例があるのだろうかと、図書館で夏の季節の歌を探してみた。いくつかの夏の歌の中で、この108の歌がわずかに該当するように思えた。また、男性歌人が詠んだ歌のようにも思えた。
ただ、108が詠まれた「延喜御時歌合」がどのような歌合だったのか、歌人の顔ぶれさえも分からない。108が選ばれた理由の一つとして、「このような叙景の例は珍しい」という評価が、編纂当時においてもあったのだろうか、と想像した。
そして、叙景歌の伝統的なあり方について、そのあり方が時代とともに移りゆくものなのかについて、私に何の知識もない。さらに、歌人相模が、11世紀初頭頃に成立したとされている『拾遺和歌集』に載る108の歌を知っていたのか、知るよしもない。
それでも、『拾遺和歌集』の108と、歌人相模による「賀陽院水閣歌合」の五月雨の歌を合わせた時、叙景のスケールや奥行き、叙景の視点が異なることに(その違いの背景を考えることに)、何かしらの意味はあるように思う。
『相模集』から始まって「賀陽院水閣歌合」など、見知らぬ古典の世界に入り込んで、そのたびに行き暮れてしまう。面白うて、やがて…踏み入りがたい学問世界の壁に突き当たってしまう。無力感はいつものことだ。やれやれ。