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私の第三十四夜をつづります。

覚書:国府域東端の古代道(1)

 24日、相模国府域を探訪したなかで、国府域を貫く古代東海道の現状での最東端にあたるという山王A遺跡第6地点などにも立ち寄った。古代東海道の延長先と推定できる遺構が検出された経緯(道路状遺構そのものは未検出)と、その東延長ルートについて言及があった。(このまま東に直進すれば、現在の北向観音に至るはずだが、曲がる可能性も残される、との説明だった。)
 相模国府域中枢部を谷川沿いに東西に縦断する古代道・・・その東延長ルートについて、個人的には(いつもどおり、根拠を持たない全くの机上論ではあるのだけれど)、北東方向の相模国庁域へと曲がることなく、北向観音の南100mほど、高林寺遺跡第5地点(9世紀後半を主体とする国司館では、との検証がなされている)の北200mほどを東に抜けて、相模川を渡河していくように想像している。
 そのラインは、四之宮と八幡の大字境であり、相模川を越えれば、寒川町と茅ヶ崎市の市町界にも重なる。更にその先は、「市」墨書土器が発見された西久保の間門川遺跡に至るルートだ。また、この地点から小出川沿いに北上すれば高座郡衙へと通じる。
 ただ現時点では、四之宮の相模国庁が成立した時点で、西方A遺跡の高座郡衙はすでに廃絶していることになっているのだが。自然の営力と人間活動の影響、時間の堆積・風化によって、日々景観が変化していくなかで、はるか1300年以上前の景観を素人が思い描くことの危うさと難しさ。しかし、それは決して虚しくもなく無益でもないと信じている。