enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

風が吹くとき

 去年3月の原発事故のあと、『風が吹くとき』というアニメーション映画を思い出した。昔、その映画を観たあとも私の無知はそのままだったし、現実に原発事故を経験してさえも、ジリジリと鬱屈をためこむ日々を重ねただけだった。デモも署名も要請葉書も、私の人生がいつもそうだったように、怯懦な自分への言訳なのだという声が聞こえていた。
 今、自分のなかに、日常感覚という麻痺的なゆるい風が吹き始めているのを感じる。吹く風のなかにも、停滞と頽廃の風が吹く時があるのかもしれない。それは風が死んでゆく時なのだろう。怯懦であっても、とどまらぬ新しい風の吹くところへ歩いていかなければと思う。