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私の第三十四夜をつづります。

御茶ノ水へ。

 例年、夏から秋へと移ってゆく時期は、私にとってそのまま、アレルギー症状の悪化の道につながってしまう。
 この時期、今年こそ、病院に真面目に通おうと決めていた。
 昨日、病院で薬を処方してもらったあと、新横浜から御茶ノ水に向かった。東京の友人に、「被ばく労働者の現状と労働者の権利」という集会への参加を誘われていた。

 会場は、御茶ノ水駅から本郷通りを下ったところにあった。
 坂の途中で、ニコライ堂を見上げる。人通りも少なく、建物の異国風の重量感が際立つ。若い頃には、立ちどまって見ることもなかった教会…それでも一度だけ、関心を持ったことがあったかもしれない。たぶん、TVの美術番組のなかでこの教会が登場したのだ。そして、その番組で初めて、”山下りん”という女性画家と”イコン”という宗教画のことを知った。
 記憶力に乏しい私がそのことを覚えているのは、おそらく若桑みどりさんが解説していたから?
(あぁ、そうなのだ…昔、TVのなかで若桑さんの解説を何回か聞くことができた。そのたびに、彼女のきらきらした言葉に胸が躍ったことを思い出す。)

 その日の集会の報告は、私には初めて知ることばかりだった。
 福島原発事故の収束作業で被ばくした”あらかぶさん”という鍛冶職人さんのことも初めて知った。彼が起こした東電への損害賠償請求裁判の意見陳述書というものも読んだ。 
 東京新聞記者の片山夏子さんの講演(「福島第一原発作業員の現状」)では、抑制された紙面からは伝わりにくい生身の思いが、たたみけるようなリズムとともに伝わってきた。
 実際に原発収束作業に携わった方たちの現実的で率直な思いも知ることができた。私よりずっと若い方々なのだった。その若さは、これからの人生の重みでもあり、その支えでもあるように感じられた。
 すべて、これまで眼にも耳にも入っては来なかった内容だった。2011年春からすでに7年。自分が何も知らないでいること、知ろうとしていないことが分かった。そして、いつものように頭痛が始まり、集会が終わったあと、とても疲れた気がした。ただ、聞くことしかできなかったのに。


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“あらかぶさん”支援の手ぬぐい

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辺野古に出かけた友人から…閉じ込められたブーゲンビリアの花びら?