enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

「ゼンパー美術館」とは?

 

耐えがたい残暑だ。

この数日、朝から南の窓のカーテンを閉め切り、人工的な光のもと、扇風機を2台回しての修行(?)が続く。

ただ夜が来るのを待つだけでは苦しい(なぜ夜を待つかといえば、夜になれば冷房をつけることにしているから…2011年の夏以来のやせ我慢だ)。

気を紛らわせるには、調べものだ。

ドレスデンへの懐かしさをよすがにして、「ゼンパー美術館」という謎の呼称について調べた。

ネットのなかをしばらく探って、ようやく『Alte Burggeschichte / 古城物語』というHPに、自分なりに納得できる答えが見つかった。
(『Alte Burggeschichte / 古城物語』の管理人さん、ありがとうございます。もしかすると、過去の自分が、旅先で大いなる勘違い…たとえば「ゼンパー・オパー」と勘違い・聞き違いをして、「ゼンパー美術館」とメモしたのでは?と怪しみましたが、たぶん、昔はそんな呼称もあったのかも?と思えてきました。)

 

そもそも、ドレスデン国立古典絵画館は、ツヴィンガー宮殿(18世紀前葉、建築家ペッペルマンが設計)の東棟部分を使う形になっている。
また、その宮殿の東には「ゼンパー・オーパー」(19世紀中葉、建築家ゼンパーが設計)が建ち、その傍らをエルベ川が曲流している(宮殿が大きく西に振れているのも、その曲流を意識したものかもしれない)

そして、ツヴィンガー宮殿について、『Alte Burggeschichte / 古城物語』の解説をもとに要約すると、

 

*ツヴィンガー宮殿は建築当初(18世紀前葉)コ」の字型で、エルベ川の方角には建物は無かった。
*その後(19世紀中葉)、建築家ゼンパーによって、エルベ川の方角に「イタリア・ルネッサンス様式」の建物が加えられ、現在のような中庭を囲む「ロ」の字型になった。

 

ということになるようだ。
とすれば、ドレスデン国立古典絵画館はゼンパーの手による建物と考えられ、その昔(35年前)には「ゼンパー美術館」という呼称が使われていたとしても不思議ではない…ということになるのでは?

 

以上が、この残暑をしのぐために、朦朧とする意識をドレスデンの彼方へと向けて過ごした時間の結末だ。
それにしてもこの暑さ…どうにかなりませんか。

 

【1986年12月末の涼し気な写真から】
もはや、東ドイツという国も、歴史上に名を留めるだけとなってしまった。現在、2021年のドレスデンとは、どのような街になっているだろうか?

 

35年前のツヴィンガー宮殿(南棟部分?)

 

f:id:vgeruda:20210828165654j:plain

 

35年前のエルベ川河畔(旧市街を望む):
高い尖塔が建つのはシュロス・プラッツあたりで、右手の橋はアウグストゥス橋だろうか?
この写真の左先には聖母教会が壁だけを残して建ち、戦争の無残さを静かに伝えていた。

 

f:id:vgeruda:20210828165707j:plain

 

35年前の聖母教会

f:id:vgeruda:20210828212631j:plain