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私の第三十四夜をつづります。

22年の1月には…。

 

25日、夕刊を見ていた家族が「フェルメールの記事が載っている…」と声をかけてきた。

夕食後に読んだその記事はベルリンから届いたものだった。タイトルは「名画に現われたキューピッド」。

フェルメールの作品『窓辺で手紙を読む女』の当初の姿が、修復によって甦ったことを知らせる記事を読みつつ、修復後のその姿の小さな写真を眺めた。

この作品について、絵に描かれた部屋の奥壁上部に、当初は”絵中絵”が存在した(現状は塗りつぶされてしまっている)…ことを聞きかじってはいたけれど、実際に「現れたキューピッド」の大きさには結構な驚きを感じた(全く違う絵を見るような戸惑いを覚えた)。

作品の奥壁のスペースに新たに出現した”絵中絵”の額縁の線は、作品の左手に開いている窓の枠線とそのまま接しているように見える。一方、”絵中絵”の右端は、作品の右手に垂れるリネンのカーテンになだらかに隠れているように見えてくる。

左手の窓…新たに出現した”絵中絵”…右手のカーテン。
それらはお互いに空間的な距離感を失い、これまで見慣れていたはずの作品の遠近感が、奇妙にゆがんでしまうのだった。

今日になって、35年前(1986年12月27~1987年1月4日)東ドイツを旅した際、ドレスデンの美術館で買った絵葉書を取り出し、しみじみと眺めた。

全体にゼピア色にくすみながらも、見慣れた部屋が描かれている。今となっては、部屋の奥壁は不自然に広いように見える。『やはり、キューピッドの絵が掛かっているほうが、本来の姿なんだろうか…?』と迷いが生じてくる。

さらにフェルメールのガイドブックなどを取り出して、作品のなかで描かれている部屋を見比べてみる。
今回初めて分かったのは、『窓辺で手紙を読む女』の窓は、『兵士と笑う女』(ニューヨーク:フリッツ・コレクション)の窓と同じ形だった。

また、『窓辺で手紙を読む女』の右手のカーテンは初めからそのように描かれたものではなく、当初は、作品の右側にはテーブルが描かれていたこと、その上には“レーマー”(ドイツなどで見かける、安定感のある形のワイングラス)のようなものが描かれていたことも知った。

フェルメールの絵の観方が変わってくる情報の数々…。

ネット情報では、2022年1月から上野で、この修復された『窓辺で手紙を読む女』を観ることができるらしい。

鬼には笑ってもらって構わない。来年になったら…ちょっと嬉しい。

 

 

ドレスデン国立絵画館:フェルメール『窓辺で手紙を読む女』1657~59年(1986年12月30日撮影)

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35年前にドレスデンで買った絵葉書と2021年8月25日の新聞記事朝日新聞夕刊)

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ドレステン国立絵画館:フェルメール『取り持ち女』1656年(1986年12月30日撮影)

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昔の絵葉書を手に取ると、年末年始の慌ただしい旅の場面が思い出された。

旅の記録のなかでは、美術館の名をなぜか”ゼンパー美術館”とメモしていたりする。

また、美術館を出たところで、同じツァーの”先生”(教授風の方だったので、そう密かに呼んでいた)から「フェルメールの作品なら2点観ましたよ」と聞き、慌てて美術館に戻り、『取り持ち女』を探し回ったこと(”先生”に教えてもらうまで、『窓辺で手紙を読む女』しか観ていなかったのだ)

買い求めた絵葉書を35年ぶりに手にすると、それは、ツルツルピカピカした日本の絵葉書の感触とは違って、どこか古びたなつかしい手触りだった。
(残念なことにジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』の絵葉書は無い。その時、たまたま、売り切れていたのかもしれない。)

エルベ河…ドレスデン…その言葉の響き…ただただ懐かしい。