enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

下馬周辺遺跡出土の鎧に使われた鳥の意匠

 14日、埋蔵文化財センターに出かけた。公開中の県指定重要文化財「鎌倉出土の鎧」(下馬周辺遺跡)も見学することができた。やはり鎌倉の地下には中世の歴史がこんな形で眠っているんだ…と改めて感じ入った。古都的な風物を楽しんできた観光地鎌倉とは全く別の、地中に残され続けている生の素顔をドンと見せられたように感じた。
 
 見学の前に聴講した講座のなかでとくに気になったのは、「総角付の環座(鳥文)」という金具のことだった。その金具は、28号竪穴建物の土坑から出土した鎧の一部で、”鳥文”と”花文”の2点が出土しているようだった。そして、”鳥文”の金具については、竪穴建物の年代観(14世紀中葉廃絶)より古い…11世紀後半~12世紀…との見方もある、との説明だった。
 映し出されたスライドのなかには、その”鳥文”の金具のエックス線写真も含まれていた。円形金具のなかに、透かし彫りと線刻によって、三羽の小鳥がシンプルに浮かび上がる。その意匠の素朴さ、若々しさ、愛らしさが、若武者の鎧に似つかわしいものであるように感じた。
 そして、もし、この”鳥文”の意匠が平安時代にまで遡る可能性があるならば…と、下馬周辺遺跡(鎌倉警察署地点)に近い「元八幡」の地(”鎌倉警察署地点”の東300~400m)のことを思い出した。
 いつもの短絡的で恣意的なイメージではあるけれど、今回の中世の下馬周辺遺跡は、源義家(1039~1106)など、11~12世紀の人々が行き来した地でもあったかもしれない…そんなことを思い描いたのだ。
(今回の講座では、本調査地の土地利用について、「本格的な土地利用が行われるのは13世紀後半以降」とされているので、11~12世紀の姿など、まったく見えてこない。ただ、今回の鎧の出土状態について、”伝世品としての鎧を埋納した可能性”…といった説もあるようだった。シンプルな”鳥文”の意匠に、11~12世紀の若武者の鎧姿をだぶらせて思い描くことは許されるのだろうか。いつものように、今後の研究に期待しようと思う)。


イメージ 1
下馬周辺遺跡出土の鋲金具(鳥文):
エックス線写真の 「総角付の環座(鳥文)」 と似たシルエットの鋲金具。
このシルエットには、シジュウカラやスズメの姿を思い浮かべるのだけれど…。

平塚駅近くで電線に留まるシジュウカラ(2016年5月16日) 
イメージ 2