11月になった。遊行寺『国宝 一遍聖繪』展に出かけた。朝の空気はずいぶんと寒くなっていて、薄着で出たのを少し後悔しながら藤沢に向かった。
新しくなった宝物館の前には開館前から行列ができていた。
初めて見る絵巻のなかの一遍上人は、痩せて肌の色が濃く、眼光が鋭い人だった。もし背の高い人として描かれていれば、”能因”のイメージと重なったかもしれない。
場面ごとに描き方が異なるような絵巻そのものの魅力も面白く、当時の人々の服装や建物の様子について、細かに見て取れることにもわくわくした(まだ訪れたことがない四天王寺も描かれていた。現在の四天王寺と同じなのか、異なるのか、700年の時間差を超える旅をした)。
また、描かれた絵そのものだけでなく、一遍聖がその死の前に、自分の書物を焼いたということについても、思いがけなく感じて心に残った。
これまで、自分にとって歴史上の一つの名前でしかなかった一遍聖。
50代半ばの死の前に書物を焼いて人生を閉じたことを知って、一遍聖を初めて生身の人間としてイメージしたような気持ちになった。
遊行寺境内のカツラ
古い建物の窓(遊行通り)