“三宮相模君”とはどのような人なのか?
結果、荒唐無稽なことに、源義家の名が浮上してきた。
“三宮相模君”の夫を源義家とする想定は、次のような都合の良い仮定の上に生まれた可能性にすぎない。あくまでも作業の覚書として、その仮定の積み重ねをまとめてみた。
【三宮相模君は源義家室、という想定】
*三宮相模君の生年を1060年前後と仮定
*三宮相模君の三宮輔仁親王家出仕を1080年前後と仮定
〔註〕今回、源義家の相模守補任時期について、1063年以降のいずれかの時点で相模守になったとの前提で、1082年前後と仮定している。“三宮相模君”の生年の仮定と、義家の相模守補任時期の仮定が、今回の最も大きな問題点だ。
【三宮相模君は藤原有綱の娘、という想定】
*藤原有綱の娘(義家室とされる)の生年を1060年前後と仮定
*藤原有綱の娘(義家室とされる)を三宮相模君と仮定
以上のような、危うい仮定をこじつけながら積み重ねた想定のもとに、“三宮相模君”に思いをはせてみる。