2015年も12月が残るだけ。鼻声でも、呼吸は気にならなくなった。
29日、友人の呼びかけで、日比谷公園へと向かった。
集会で、シールズの学生さんが話した。
”沖縄がしこりだった”という言葉が印象に残った。
自分が沖縄の痛みを共有していないというしこり、という意味だった。
私は60代半ばになってさえ何も痛みを共有していない、と思う。
せめて Imagine…before us only sea
見たことがない辺野古の海を思い浮かべてみる。
海には何もいらない。海だけがあればいい。それは平塚の海だけに許されるのだろうか。