enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

大改修を終えた日向薬師:宝城坊本堂

 3日、まだ秋の華やかさを残す日向薬師を訪ねた。
 伊勢原駅でバスを乗り継ぐ。しかし、帰りは駅まで歩いてみた。12月初めの陽射しのぬくもりを楽しむことができた。
日向薬師という寺は、できるならば駅からの長く緩やかな道を徒歩でたどるのが良いと思う。少しずつ山に近づいてゆく時間のなかで、しだいに心が満たされてゆくはずだから。)

 その完成を長く待ちわびていた。ようやく眼の前に真新しい本堂があらわれる。
 解体前と解体途中の朽ち果てた姿を思い出しつつ、その大改修にかけられた手間の大きさ、時間の長さを思った。 
 そして、11世紀前半、歌人相模が参籠した「日向といふ寺」を去る日、柱に歌を書きつけたのも、この奥まった寺の明るく穏やかな空間に心を残したからではないだろうか、と思う。
歌人相模が、相模国での思い出として、多少なりとも良いものがあったとするならば、この日向薬師参詣の旅ではなかったか、と勝手に想像している。)
 
 本堂の晴れ姿をためつすがめつしながら、日向薬師が周囲の景観とともに、これからもずっと長く保存されてほしいと、心から願った。

イメージ 1
本堂①(南から)

イメージ 2
本堂②(南東から)

イメージ 3
茅葺屋根と斗供

イメージ 4
扁額「霊山寺」と向拝の彫り物:龍・獅子・象などの旧部材が彩色されてよみがえっていた。

イメージ 5
向拝彫刻(龍)裏面の銘版:「江戸 神田 建大工町 細工師 後藤□□ 常信」と読める。

イメージ 6
      向拝の面取柱(約30㎝角)

イメージ 7
      藁座

イメージ 9
外陣内部:蟇股の意匠に隠れる猪目(小さい♡形)

イメージ 8
内陣の柱(径約40㎝) 

補記:
 「宝城坊本堂平成の大修理」(伊勢原市教育委員会 2014年)には、本堂床下の発掘調査出土資料の一つとして、「銅銭 紹聖元宝」(北宋 初鋳1094年)が載っている。この北宋銭初鋳年代が示す「1094年」は、歌人相模が参詣した1023年頃にもっとも近い遺物なのだと思う。
 この北宋銭が仮に初鋳から時をおかずに日向薬師にもたらされたとすれば…あくまでも妄想の仮定…その時期の相模国司は「橘以綱」となる。橘以綱の孫・以実が、大江公資の曾孫(孫・公仲の養子)にあたることもあって…理由にならない理由…、この北宋銭が日向薬師の地にもたらされた時期が少し気になる。

2011年2月24日撮影の旧本堂(再掲)

2012年3月18日撮影の旧本堂小屋組(再掲)
イメージ 2