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私の第三十四夜をつづります。

櫟野寺の菩薩像たち

 11日、上野に出かけた。
 甲賀市の櫟野寺に伝わる仏像の展覧会をずっと楽しみにしながら、ようやく最終日に会場を訪ねることができた(1月初めまで会期延長となったので、上京の機会があれば再訪も可能のようだ)。
 
 会場は暗く心地よい。一室のみの閉じられた空間。
 本尊像が中央に座し、囲むように仏像群が立ち並んでいる。巨大な本尊像から圧倒的な力が静かにあふれ出ているように感じる配置だ。
 本尊像の真下に近寄り、黄金色の豊かな顔と分厚い体躯を見上げ続ける。しだいに、像が仰臥の姿勢でまさに死と生の狭間の曖昧な状態にあるような、そして、その胸元が深く呼吸を繰り返しているような、不思議な感覚(錯覚)のなかに入ってしまった。
 像が呼吸していると感じたのは、つまりは私自身の呼吸なのだと気がついたあとも、不思議な被支配感(適切な言葉が見つからない)が続いた。
 湖北で渡岸寺(向源寺)の十一面観音立像の美しさに、胸がしめつけられるような喜びを感じたことはあったけれど、こうした不思議な被支配感(他にふさわしい言葉があれば良いのに)は初めてのものだった。どのような人が制作したのだろうと思う。
 
 周囲の菩薩像たちを10世紀、10~11世紀、11~12世紀、12世紀と制作年代を追って見学するなかで、素人の私にも、10世紀代とそれ以降の像容の違いが伝わってくるようだった。
 本尊像に似通った表情・・・頬や目鼻立ち、ことに唇の表現など・・・をもつ観音菩薩立像(№5)、吉祥天立像(№7)は10世紀の一群をなし、それ以降の菩薩像はと言えば、しだいに個性を強めてゆくように思われた。
 12世紀ともなると、10世紀までは確かにあったと思われる像容の正統的な(?)荘厳さは消えてしまったのだろうか、制作者が思い思いに鑿を振るうことで、人々の自由な(?)祈りの形を伝えるような菩薩像に転じているように思えた。
 また、帰宅後にパンフレットを見ながらふと感じたことがあった。
 №5の観音菩薩立像は、その量感も大きさも躍動感もすべて控えめでありながら、どこか渡岸寺(向源寺)の十一面観音立像に通じるような雰囲気があったのではないだろうか、という疑問だ。
 しかし、その印象をはっきりと思い出せない。
 やはり、その時、その像を間近に見ながら、実はまったく見ていないも同じなのだった。あとになって、さてどうだったのだろうかと首をかしげ、自分の節穴の目を嘆くしかない。やれやれ・・・。

     散り残るイチョウの木(上野公園)
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