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私の第三十四夜をつづります。

列島展で。

 21日、友人と東京に向かった。
 毎年見学する列島展ではあったけれど、今年は当日の朝まで迷っていた。そして、結局は出かけることになった。 
 両国駅の外に出ると、一気に大都会の灼熱の空気に包まれた。
(夏場の縄文土器作りの野焼きのさなか、身体の芯が火照りを溜め込んでゆく感覚を思い出す。やはり、日本の大都市は亜熱帯化しつつあるのだろうか…。)

 列島展の狭い展示室は、見学者で賑わっていた(少なくとも、閑散とはしていなかった)。
 今年の展示のなかには、昨年5月、はるばる訪ね歩いた八尾市の由義寺跡(東弓削遺跡)の出土資料もあった。
(『あの遺跡の下にこのような遺物が…』と思う。出土した”モノ”たちは、明確な形で過去の時間の存在について語りかけてくる。出現した遺物たちによって、無味乾燥な遺跡名に、俄かに具体的な歴史の表情が加わる。しかも、現代では失われてしまった価値観を仄めかすような表情を見せてくれる。)

 武蔵国分寺跡出土の緑釉陶器(花文皿)も美しかった。
(昔のままの魅力を失わない緑釉陶器を目の前にして、緑釉陶器への学習熱が冷え込んでいる自分に無力感を感じる。そして、『あの見込み部分の文様は? 花文なのか? それとも梵字のようなもの?…と気になる自分に少し安心したりもする。)
  
 今や、私にとっての列島展見学とは、考古学から確実に遠のきつつある自分、一方で、それでもなお考古学の魅力に惹きつけられる自分を確認する場になっているらしかった(なぜ、勉強を続ける根気が失われたのだろう…残された時間は限られているというのに…。)

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仏像文軒丸瓦(8c後半 大阪府八尾市 由義寺跡)

【2017年5月撮影:
由義寺(弓削寺)跡の調査地点(八尾市東弓削、恩智川・玉串川・楠根川・長瀬川の合流地点】
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緑釉陶器花文皿(10c中頃 東京都 武蔵国分寺跡)

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人物埴輪(6c 群馬県藤岡市 神田三本木古墳群):
”群馬HANI‐1グランプリ エントリー№5”でもあるこの埴輪は、2018年7月の夏を生きる私に「乾杯!」と声を掛けてくれる。私を励ましてくれた”№5”さんに、これからネット上で一票を投じようと思う。