enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2012.12.17

 図書館で『吾妻鏡』の現代語訳などを眺め、12世紀末~13世紀初頭の時代を夢想している間に、日本の人々は古くて新しい扉を開けようとしていた。
 扉の向こうにどのような歴史が作られてゆくのか、今はまったく見通せない。
 21世紀を迎えた時から、まだ10年ちょっとというのに、予想もできなかった社会が眼の前にあり、予想もできないところへと今も歩みを続けている。こんな風に歴史の扉は用意されているのか。 
 歴史とは何だろうと思う。
 右往左往しつつ生きた人々の痕跡。残るべきものが残るわけでもない。
 ただ、この21世紀の日本の歴史の事実として後世に確実に残るのは2011年3月に起きたことだろう。
 21世紀を生きようとする日本の人々は、その喪失を越える何かを将来に残さなければいけないのだと思う。
 それは何だろうか。
 20世紀に生まれ21世紀に消えてゆく私は、もはや歴史に残すべきものに係る可能性は無い。ただ、考え、探し求め続けることはできるのではないだろうか。