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私の第三十四夜をつづります。

祈りの造形(2)

 歴史の門外漢である私は、今に残る仏像や神像と対面して生まれた感動の源を探ろうとするのだけれど、ただただ時の迷路の中でさまようばかりだ。
 2012年1月3日、六所神社(大磯町)の神像を拝観してから、その後も伊豆山神社(熱海市)の男神立像、八剱神社(平塚市)の不動明王立像と、11世紀から12世紀にかけての人々の祈りの造形に出会ってきた。すべては、12世紀中葉とされる相模国府の遷移の時代について、何かの手掛かりを見つけることができれば、という思いからだった。しかし、時の迷路の中では次から次へと夢想が拡散するだけで、どこにも行き着かない。60歳を越えた自分の”出遅れ”を思い知り、不毛感に陥る。
 ただ、得たものもある。この21世紀の日本の各地には、それぞれの風土と歴史のなかで生き残ってきた祈りの造形が林立している・・・そのことを納得したことだ。これまでの見方・・・法隆寺百済観音像や渡岸寺観音堂の十一面観音像に対するような個人的な思い入れとは別の、風土の中で時を湛えて残る祈りの造形への新しい視点を持てたように思う。
 今回、再び六所神社男神立像について思い返す中で、新たに、了源(平塚入道)という名前が迷路の先に顕れてきた。歌人相模の道を訪ねるなかで、内裏相模や大内惟義阿多見聖範という名前に出会ったように、この了源の足跡(伝承)から、未知の歴史空間を教えてもらうことができるかもしれない。時の迷路にさまようなか、たとえ寄り道ではあっても、虚しさを超える何かをつかめれば嬉しい。