平塚で戦後の復興を願って始まった7月の七夕まつりに対し、隣の大磯町の七夕祭(国選択無形民俗文化財)は、月遅れの8月に行われる。日盛りのなかで生と死の影が重なり合う季節だ。
数年前、西小磯西地区の七夕を見学した。今年は、8月6日の午後、西小磯東地区の七夕行事を見学した。地区のそれぞれの特色を実際に見聞するには体力が必要だ。今回は、頭痛の予兆で体力負けを感じ、夕方からの竹神輿担ぎと翌朝の竹神輿流しの行事は見学できなかった。
それでも、身近な地域で、このように大人から子供たちへと受け継がれている貴重な行事を見学できたことで、身体の疲れは充足感とない交ぜのものだった。
平塚駅に着いて、大磯へ向かう仲間に出会った(これから夜までの行事を見学する予定なのだ)。帰りぎわに降り始めた雨は傘をさすほどになっている。今夕、子供たちの竹神輿の出番はあるのだろうかと気になった。
「この夕べ 降りくる雨は 男星の早漕ぐ船の 櫂の散りかも」 (作者未詳 万葉集 巻十)
「星あいの 影をながめて 天の川 空に心の浮かびつるかな」 (相 模 相模集 早秋)
東地区の竹飾りは五色の和紙の短冊で彩られる。こよりで結ばれた短冊に、願いごとは書かれていない。
地区内を廻るお祓いの最後は八坂神社。お祓いで短冊がほとんど落ちた竹飾りは、みんなで竹神輿に仕上げ、夕方再び村内を廻ることになる。そして、翌早朝には大磯の海に流されて、一連の七夕行事が終わる。
お祓いのあと、”血洗い川”を流れる五色の短冊
龍に見立てたような竹神輿をつくりながら、子供たちはその背中に乗って遊んでいる。
(その楽しそうな姿を見ていると、竹神輿が「ハク(ニギハヤミコハクヌシ)」のイメージに重なってくる。お祓い行事が、地区内の”水神さん”や”血洗い川”を廻ること、そして最後は海に流されることなどが、”水”と係る祀りでもあることをうかがわせているようだ。)