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私の第三十四夜をつづります。

鎌倉時代の石敷き道(伊勢原市上粕屋)

 7日、伊勢原市№163遺跡の現場見学会に参加した。
 遺跡の近くでは近世の大山道が出ているので(上粕屋・石倉中遺跡)、それが中世まで遡るのだろうかという思いで参加した人も多かったのではないか。
 しかし担当者の方から、石敷き道の特殊性や周辺遺跡についての説明を聞き、大山道とはまた別の興味深い可能性があることを知った。そして、13~14世紀の上粕屋の地に新たな光が当てられたことを感じた見学会となった。
 遺跡の特殊性を感じさせる遺物に、初めて見る中国泉州産の緑釉陶器片があった。盤か洗などの水器の破片らしい。陶土は軽くて柔らかそうで、緑釉は艶々と濃緑色に光っていた(手に取って触ってみたかったが我慢した)。同じような資料が鎌倉市で出ているかどうかはわからないが、完形品はどのような形をしているのだろう。用途について聞いたところ、おそらく生活の中で使う実用品ではなく、持っていることに意味がある奢侈品だったのでは、とのことだった。
 現場を出て、すぐ脇を流れる鈴川を渡り、葛の甘い香りが漂う坂道伝いに少し上ると、№123遺跡の位置する丘陵上に出た。№163遺跡と同時代の大型掘立柱建物が発見された現場は、すでにブルーシートでおおわれていた。
 大山に降る雨を集めて流れ出る鈴川、その段丘面に営まれた水田、その下に眠っていた堅固な鎌倉時代の石敷き道。この地に段葛のような石敷き道を造った人々は、なぜこの場所を選んだのだろうか。
 眼の前の鈴川はやがて金目川へと流れ込み、相模国府域の西方を流れて相模湾に注ぐ。歴史の時間が途切れなく続くように、人々が生きた土地も途切れなく続いていることを思った。
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北から石敷道路を望む 
石敷きは下部構造。道路面は小石・砂混じりの層を突き固めたもので、御家人クラスの力を越えた造作ということだった。
 
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泉州産緑釉陶器