enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2013.9.29(1)

 40年ぶりに古語辞典を開くようになって、気が遠くなるほど綿密に明らかにされているそれらの古語の意味、類例…そこから伝わるニュアンスが、現代の私が感じるニュアンスと同じなのだろうか、と気になるようになった。
 たとえば、現代の私の心の中で『高麗山の秋はどんなだろう』と浮かんだ言葉…それは『高麗山の秋やいかに』という文で示されるニュアンスとは違うのではないか、時代や社会とともに生きる言葉は、私の力では辞典によっても置換できないだろうと思うのだ。
 さておいて、現代の私は2013年9月28日の高麗山に出かけた。『高麗山の秋はどんなだろう』と。
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